21-7 日記

「そんな忌まわしい記憶を作ったのに…… どうして……」
しばらくしてケイナは目を伏せたままつぶやいた。
トリはケイナを見つめて言った。
「きみの心はからっぽで……」
ケイナは思わずトリの顔を見た。
「からっぽっていうのは、何も考えていないのとは違うんだよ……」
トリは静かに言った。ケイナは戸惑ったように目を伏せた。
トリはアシュアとセレスを指差した。
「彼と、彼」
トリは笑みを浮かべた。
「きみの中にはふたりのことしかなくて…… 助けなくちゃ、助けなくちゃって、そればっかりで……」
アシュアが顔を伏せた。
ケイナ、おまえ……
「ケイナ、ノマドは後悔をしている…… きみにだけじゃない。67年前のあのグリーン・アイズのときから、ずっと」
3人はトリの言葉の真意を図りかねて、怪訝な顔をした。
「ぼくがどうしてコリュボスに来たか、分かりますか」
ケイナは黙ってトリを見つめた。
「本当にきみが来るかどうか、運命が本当にそのとおりに動くのかどうか、それを確かめるために1年かかった」
トリはケイナを見つめ返した。
「ぼくらはもう沈黙しない。ケイナ、ぼくらはきみを迎え、助ける。今度はもう諦めない」
トリは服の下から小さなディスクを一枚取り出した。
「これ、見せようか見せまいか、迷ったんだ……」
トリはためらいがちに言った。
「マレークは恥ずかしがりやというか…… 自分の姿を映像に残すことをひどく嫌がったんだ。
人間は死んだら土に還る。自分の望みはこの星と一体になってこの星の養分となり命の一部分になることだって。そんなことを時々言ってた。生きているときの姿をいつまでも残すことは悔やみを残すことになるからって…… 日記も最終的には誰にも見せるつもりはなかったんだろうね……」
トリは嘲笑に似た笑みを浮かべた。
「例のごとく、ぼくの父がいらぬお世話をしたんだよ…… マレークがさっきの日記以外で自分の姿を残したのはこれが最初で最後だった」
トリはディスクをレコーダーに入れた。
しばらくして金色の髪の小さな男の子が目の前に立ち、ケイナがぎょっとしたようにかすかに身をこわばらせた。
「ケイナだ……」
セレスがつぶやいた。
4歳くらいのケイナだろうか。頬を上気させている。誰もがケイナを見て幸せになったというのが分かるような気がした。目の前に立つケイナは幼くあどけなく、その笑みは輝かんばかりだ。
『お父さん! お父さん!』
ケイナは呼んだ。続いて優し気な女性があらわれると、ケイナの髪についていた木の葉のくずを指でつまんで下に落した。
『マーマ!!』
ケイナは彼女に抱きつくと頬にキスをした。女性はきっとユサだ。豊かな黒い髪を太い三つ編みに編んで背に垂らしていた。
『ケイナ、お父さんは恥ずかしがりやね……』
彼女は幼いケイナを抱いてくすくす笑った。
『おとうさん、お帰りなさいをしようよ!』
ケイナが叫んだ。
「やめ……」
セレスは横にいたケイナがかすかにつぶやいたように思った。
しばらくして渋面をしてマレークが現れた。
『おとうさん、お帰りなさいをしようよ!』
再び幼いケイナが叫んだ。
「やめて…… くれないか……」
セレスが目を向けると、ケイナは両手を握りしめていた。
マレークは少し恨みっぽい目をこちらに向けた。
『ユード、きみはほんとに……』
『マーク』
ユサがたしなめた。マレークは目をしばたたせると口をつぐんだ。目の前の3人が抱き合った。
ケイナががたんと立ち上がった。
「やめろって言ってんだろ!!」
まん中のケイナにユサとマレークは両側からキスをした。
『おかえりー!』
幼いケイナの高い声が響き、ケイナは荒々しくテントから出ていった。
「ケイナ!」
セレスが追おうとするのをトリが引き止めた。
「ごめんよ。ぼくが行く……」
セレスは不安な顔をしながらもうなずいた。

 トリは急いでテントを出てケイナを追った。そして早足で歩いて行く彼の腕を掴んだ。
「きみは足が速いね……」
「気安く触るな!」
ケイナは振り向きざまにトリの手を振り払った。
「見せようかどうかと迷うんなら、見せるな。こんな人たちを…… おれが殺したのだと、そう思わせたいのならもう充分だろ! これ以上……」
「ユサはまだ生きてるよ。地球にいる」
トリは言った。ケイナは思わずトリの顔を見た。
「リアと一緒で、あの事件のことだけはごっそり記憶を封印してる…… でも、彼女は生きてる。マレークは病気で死んだと彼女は思ってるはずだ……」
ケイナの目に戸惑いの色が浮んだ。目を臥せるケイナをトリは見つめた。
「思い出して欲しかったんだ」
トリは言った。
トリは一枚の紙をとりだしてケイナに突き出した。
「殴られるかな……」
トリは笑った。
「例のごとく、ぼくの父のおせっかいだ。きみたち家族を映像にとって出力した」
ケイナは紙に目を向けた。ユサとマレークと幼い頃の自分が写っている。下に華奢な文字で『お帰り、ケイナ』と書いてあった。
「マレークの字だよ……」
トリは言った。
「マレークは几帳面な字を書いた…… 彼はこの言葉が気に入ってくれてたんだ。ぼくらにはね、こんにちはや、いってらっしゃいや、おめでとうより大切な言葉があるんだよ」
ケイナはもう聞きたくない、というように顔をそらせた。
「ぼくらはもっと早く決心するべきだったのかもしれない。ぼくにもっと確固とした予見の力があれば、きみを早く迎えに行けたのかもしれない。自責の念に駆られているのはぼくらのほうだよ」
ケイナの苛立たしそうな表情は変わらなかった。
「すまなかった、ケイナ…… ずっとひとりだと思っていたんだろうね……」
それを聞いたケイナは震える息を吐いた。
「誰も来ないから泣いてもいいよ」
トリは笑って言った。
「今ここで泣いておかないと、後悔するよ。これから勝負するんだから」
ケイナはトリから目をそらせたまま、くちびるを噛んだ。
「きみはもう分かってるんだろ。ぼくはごっそり遺伝子分析の機器をこっちに運んでる。セレスときみを助けるよ」
「マレークは…… おれを連れて来たことを後悔しただろうか……」
ケイナは顔をそむけたままつぶやいた。
「まさか」
トリは答えた。
「最期まで、マレークの心にはきみへの愛情しかなかった。ぼくはそれを感じたから、あのとき全部の力を使ってきみを封印したんだ……」
ケイナは思わず自分の口を押さえた。漏れそうになる声をこらえるかのようだった。
「お帰り…… ケイナ」
トリはそんなケイナを見て言った。
ケイナの目から大粒の涙が地面に落ちた。