20-7 遊牧民

 夕方になってリアがテントに顔を覗かせた。
「トリがもしよければテントにいらっしゃいって言ってるわ」
リアは言った。
アシュアはつい数分前に目覚めて大欠伸をしていたが、リアの顔を見た途端に不機嫌そうな表情になった。
しかしリアはそんなアシュアの様子には全く頓着しないようだ。
「どうぞ」
リアに促されて3人は外に出た。
森の中は再び薄闇が訪れていた。
セレスはリアが神経質そうに剣の柄をいじくっているのを見た。
何がそんなに彼女を駆り立てるのだろう。また隙あらば挑んでみたいと彼女が思っているのがよく分かる。
「お兄ちゃん!」
聞き覚えのある子供の声がしたのでセレスが振り向くと、クレスが顔を赤らめて走ってくるところだった。
「これ、見て」
クレスは木で作った馬を得意そうに掲げて見せた。子供の手のひらに乗るほどの小さなものだ。5歳の子供が作ったにしてはなかなかいいできばえだった。
「上手だね」
セレスは笑みを浮かべた。
「ほんと?じゃあ、あげる」
クレスはセレスに差し出した。セレスは面喰らった。
「え、でも……」
「穴、あけてあるの。これにね、ヒモ通すと首にかけられる」
クレスは馬の首のところの小さな穴を指差して言った。
「せっかく作ったんだろ?」
セレスはクレスを見た。クレスは笑った。
「みんなに1個ずつ作るよ。ケイナもあげるね」
クレスがケイナを見たのでセレスは振り返ってケイナの顔を見た。彼がいい返事を返せるかどうか心配だった。
ケイナは案の定あまり嬉しそうな顔はしていなかったが、かすかに笑みを浮かべてクレスを見た。
「楽しみにしてるよ」
ケイナは言った。アシュアがその後ろで欠伸をしている。
「おれのはもうちょっとデカイのな」
アシュアの言葉にクレスは嬉しそうにうなずいた。そして再びケイナを見た。
「ケイナはどうしていつも怒った顔をしているの?」
セレスは顔をしかめてケイナの顔をちらりと見た。子供にくらい愛想よくすればいいのに、と少し思った。
「なんでだと思う?」
ケイナは言った。クレスは小首をかしげた。やがてにっこりと笑った。
「リアがずっとケイナを睨んでいるからだ」
「当たり」
セレスはそれを聞いてはっとして振り向いた。
知らない間にケイナの右手にはリアの剣が握られていた。
その切っ先は彼女の鼻先につきつけられている。
「ケイナ!」
セレスは思わず叫んだ。アシュアを見ると、にやにや笑っている。
「おれの後ろでヘドが出そうな殺気を飛ばすんじゃねえよ」
ケイナはリアに言った。
いったいいつの間にリアの腰から剣を抜き取ったのだろう。セレスは呆然としてケイナを見つめた。
何より仰天しているのはリアのほうだった。
「リアの負けだ!」
クレスが叫んだ。
「あっちへおいき!」
リアは真っ赤な顔をして怒鳴った。クレスは笑い転げて走っていった。
「剣を返して」
リアはケイナを睨みつけて言った。
「あんたの殺気と気配なんかとっくに覚えたよ。あんまり度を越すと本気で怒るぞ」
「剣を返してよ」
リアは再び言った。ケイナは柄をくるりと回すとリアに差し出した。
リアはひったくるようにして剣を受け取るともどかしそうに腰の鞘におさめた。そしてケイナをもう一度睨みつけると再び歩き始めた。3人はそのあとに続いた。
セレスは満足そうな笑みを浮かべるアシュアの横腹をつついた。
「アシュア」
セレスはたしなめるように小声で言ったがアシュアはにやにやしたまま知らん顔をしてそっぽを向いた。嬉しくてしようがない、といったふうだ。セレスはため息をついた。
朝来た長老のテントに入るとトリがテーブルに向かって小さなデータディスクのようなものを積み上げていた。
彼は4人の姿を見ると笑みを浮かべた。
「少しは休めましたか?」
「おれはもう元気一杯だけどね」
アシュアが上機嫌で答えた。セレスは呆れたように首を降った。
「どうぞ」
トリは椅子をさして促した。
テーブルの上にはカップと温かいお茶の入っているらしいポットが乗っている。
リアが椅子に座ろうとしたとき、トリは彼女を手で制した。
「リア。きみは外に行きなさい」
リアの顔がぱっと赤くなった。
「はい……」
彼女はうなだれるとすごすごと出ていった。トリは今までのことが分かっていたのかもしれない。
セレスはしょんぼりとしてテントを出ていくリアを複雑な思いで見送った。少し可哀相な気もしないでもなかった。
「彼女のことは心配しなくていいんですよ」
セレスの心を読んだようにトリは言った。
「あっちこっちでちょっかいをかけるんですが、彼女の相手になるような者がいなくて。きみたちが来たので相手ができたと思って嬉しかったんでしょう」
「冗談じゃねえよ。いちいち剣で襲いかかられたんじゃ身がもたねえ」
アシュアは吐き出すように言った。トリは微笑んだ。
「彼女は少し痛い思いをしたほうがいい。自分が一番できると思っているから。あまりしつこいようなら厳しく接してもらっても構いません。いい薬だ」
「リアは……」
セレスはリアの出ていったテントの出口を見て言った。
「リアはどうしてあんなふうにいつもいきり立ってるの? ……そんなに人と戦ってみたいかな……  おれ、分かんないな」
「戦いの神にでも魅入られたんでしょう」
トリはポットを持ち上げてそれぞれのカップにお茶を注ぎながら答えた。
「戦いの神?」
セレスは目を細めた。
「冗談です。そんなものはいませんよ。空想の世界のことだけ」
トリは笑った。そしてそれぞれの前にお茶の入ったカップを置いた。
「彼女が棒っ切れを剣代わりに振り回して遊び始めたのは1歳くらいのときだったそうです。それ以来棒が剣に変わっただけで全く同じです。生まれついて猫のように敏しょうだし、勘も鋭い。でも、しょせんそれだけだ。本当に本気で戦ったこともなければきちんとした武術のレクチャーをされたわけでもない」
「きちんと指導されればかなりの戦力になると思うけどね」
アシュアがカップを口に運びながら言った。
「不用意に剣を振り回すこともなくなるぜ」
毛嫌いしているわりには冷静なことを言うアシュアをセレスは訝し気に見た。アシュアはそれに気づいて肩をすくめてみせた。
トリはアシュアの言葉を聞いて少し寂し気な笑みを浮かべた。
「ノマドでは必要ないんです。そんな力は」
そして視線を泳がせた。
「でも…… 機会があれば兵士にでもなりたいのかもしれませんね……」
セレスはちらりとケイナの顔を見やった。ケイナは興味がなさそうに自分の手許を見つめている。
「昔から男のように走り回っていたリアがどうしても勝てなかったのが、ケイナですよ」
トリはケイナを見て言った。ケイナは目をあげた。
「4歳で勝つも負けるもないだろ……」
ケイナは肩をすくめて嘲笑するように口を歪めた。
「4歳までじゃないですよ.」
トリは答えた。ケイナは目を細めた。トリは少し眉を吊り上げて目を伏せた。
「きみが覚えているのが……4歳までだ、ということです。……実際はそれからさらに3年、きみはノマドにいたんです」
「そんなはずはない……」
ケイナはトリを見つめて言った。
「レジーやユージーのことを覚えてる…… おれは2歳年上のユージーのあとを追いかけて…… ユージーはあのときロウスクールの3年生だったし、おれはレジーに引き取られてすぐにスクールに入って、ユージーはしばらく一緒に登校して……」
「カンパニーはうまくやりましたね……」
トリは静かに言った。
そうだ。ユージーはケイナが来た時、7歳くらいだったと言っていた。
彼の思い違いがあってもクレスくらいの子供の時期を2歳年上のユージーが間違えるはずがない。
セレスはケイナの顔を心配そうに見た。ケイナの目に動揺が浮んでいる。
アシュアは厳しい表情でじっとトリとケイナを見つめていた。
「私もそれに気づいたのは長老になってからでした。私はそれまできみと同じように記憶を封印されていたんです。リアも同じです。でも、リアは今も全部を思い出してはいません。もし思い出していたら、滅多なことできみに剣など向けられませんよ。彼女の記憶にあるのはきみとの楽しい思い出だけだ。あのとき、きみと一緒のコミュニティーにいた者は、いまでも一部の記憶を閉じ込められたままだと思います」
「なんで?」
セレスは思わず口を挟んだ。
「なんで記憶を封じ込めないといけなかったんだ……」
「ケイナ……」
トリはテーブルの隅に積み重ねられた小さなデータディスクの山を細い指で持ち上げてケイナの前に置いた。
ケイナはディスクを見つめてから訝しそうにトリの顔を見た。
「ケイナをノマドに連れてきたのは、『マレーク・ロード』という地質学者です。これは…… 彼がノマドに来てから書いていた…… 日記」
3人は言葉もなくディスクの山を見つめた