20-5 遊牧民

「子供の頃の約束だけど」
リアはくすくす笑いながらケイナを見て言った。ケイナはさらにリアを睨みつけた。
「リア。うしろに下がっていなさい」
トリが静かにたしなめたのでリアはうなずいて大袈裟な身ぶりで3人に一礼すると仕切りの奥に入っていった。アシュアはそれを見て苛立たしそうにどっかりと椅子に腰をおろした。
「きみたちが来る予感はしていたよ」
トリはなにごともなかったかのように3人に目を向けて言った。
「でも、まさかグリーンアイズを連れて来るとは思わなかった」
「グリーンアイズ? 緑の目と髪を持つ者のこと? やっぱりそういう人がノマドにいたの?」
セレスが目を丸くしてトリを見た。トリはうなずいた。
「もうずいぶん昔の話だけれど。ぼくも生まれる前のことです」
「ジェニファは…… ノマドに行けばいろいろ教えてもらえるかもって言ってたけど……」
セレスはケイナの顔をちらりと見た。ケイナの顔は不機嫌そうだ。彼もやはりさっきのリアの行動をまだ怒っているのかもしれない。
トリはしばらくじっとセレスを見つめていた。そして口を開いた。
「とても長い話になります。あなたがたは夜を通して森の中を歩いて来られた。少し休んでからにしませんか?」
「おれは別に大丈夫だけど……」
セレスはつぶやいたが、トリはかぶりを振った。
「テントをひとつ用意してあります。食事も用意してありますから」
トリはそう言うと仕切りを振り返った。
声をかけてもいないのに再びリアが姿をあらわした。まるで心で通じ合っているような感じだ。
「案内します」
リアは言った。
どう言ってもトリは今話す気はないのだと悟り、3人は渋々立ち上がるとリアについてテントをあとにした。
「昔、一緒のベッドで眠っていたのよ」
リアは歩きながらケイナに言った。
「あなたをまん中にして、わたしとトリであなたを挟むようにして」
こんなふうに、というように両腕を前に出して誰かを抱えるようなジェスチュアをするリアにケイナは困ったように目をそらせた。楽しかったと記憶していたノマドの生活のほとんどを忘れていることを知って戸惑いを隠せなかった。
「わたしたち、あなたが大好きだった。今でもそうよ。戻ろうとしてくれていることを知ってどれほど嬉しかったことか」
「リアは戦士なの?」
セレスがリアのいでたちを眺めながら尋ねた。確かに腰に剣を吊って丈の短い服を着ているリアは戦士に見えないこともない。リアは笑ってセレスを見た。
「ノマドは戦士を持たない。一応、そういう名目よ。でないと政府から不穏分子として排除されるわ。わたしはノマドに不要にコンタクトを取ろうとする者を近づけさせないようにするだけの存在。いわば見張り役みたいなものね」
「では、なぜ剣を持ってる?」
アシュアが口を挟んだ。リアはうつむいて微笑んだ。
「さあ…… どうしてかしらね」
「さっき、セレスに剣を向けたのはなぜだ」
再びアシュアが畳みかけた。まだ気が治まらないらしい。リアはアシュアに目を向けた。
「ケイナがどうするか見たかったのよ」
そして彼女はケイナに目を向けた。ケイナは彼女を見つめ返してすぐに目をそらせ、何も言わなかった。
リアは肩をすくめ、やがてひとつのテントの前に立ち止まると3人を振り返った。
「ここよ。奥に湯もはってあるわ。ゆっくり休んで」
納得のいかない様子で3人はリアを見つめていたが、最初にアシュアがテントに入っていった。
その次にケイナが入ろうとしたが、ふと気配を感じて彼は顔を巡らせた。
セレスはそれに気づいて彼の視線の先を追った。
小さな子供がこちらの様子をうかがうように、近くのテントの影に半分身を隠すようにして立っていた。黒い巻き毛の5歳くらいの少年だ。
「まだ出てきちゃいけなかった?」
男の子はおずおずと言った。リアは笑った。
「いいよ、もう。トリに会ったからね」
それを聞いて男の子は嬉しそうに近づいてきた。そしてふたりを見上げ、片手を広げてみせた。
「ぼくね、5歳」
ケイナとセレスは顔を見合わせた。ケイナは明らかに戸惑っているようだった。
「名前、なんていうの?」
セレスは身をかがめて子供の目の高さに目線を合わせると尋ねた。
「クレス」
「おれと似た名前だね。おれ、セレスっていうんだ」
「セレス?」
クレスは言った。そして今度はケイナを見上げた。
「このお兄ちゃんはケイナっていうんだ」
セレスはクレスに言った。
「ケイナ? ケイナって笛の名前だよ?」
クレスは不思議そうにケイナの顔を見た。
「おまつりの時に長老が吹く笛だよ」
セレスはケイナを見上げた。ケイナは肩をすくめた。
「(神の笛)だろ? でも、そういう名前なんだ」
ケイナはどうしようもないだろ? というように答えた。
「ふうん……」
クレスはすぐに興味をなくしたようだった。そして目の前にいるセレスの顔をまじまじと見た。
「きれいなおめめ」
「そう? ありがと」
セレスは笑った。
「髪もきれいだね。葉っぱと同じ色だね」
「うん。昔っからそうなんだ」
「ねえ、触っていい?」
「え?」
セレスはびっくりした。ケイナは訝しそうにふたりのやりとりを聞いている。
「いいよ。でも、おれ、昨日から風呂に入ってないから、髪、汚れてるよ」
クレスはおかまいなしにセレスの髪に手を伸ばすと、くしゃくしゃとなでまわした。そしてくすくすと笑った。
「いいにおい。お日さまの匂いがする」
セレスは笑った。
「クレス、お客人は疲れているの。もう、ママのところにお帰り」
リアが言った。
クレスはセレスの髪から手を離すと、うなずいてあっという間に向こうのテントに影に走っていってしまった。
「ごめんなさいね。クレスは一番人なつっこい子なの」
リアが申し訳なさそうに言ったので、セレスは笑みを浮かべた。
「ううん。いいんだ。子供はきらいじゃないよ」
リアはそれを聞いて安心したように笑った。リアも意外と子供好きなのかもしれなかった。
「それじゃ…… 夕方まで休んでもらっていいですから。また呼びに来ます。もし、外を歩きたければご自由にどうぞ。でも、結界の外には出ないでね」
リアは言った。
「結界?」
セレスは不思議そうにリアを見た。
「磁場の張ってあるラインだよ。この集落から1キロ以上離れなければ大丈夫だ」
ケイナが横から言った。
「よく覚えていたわね」
リアがそう言うと、ケイナはちらりと彼女を見て、そしてテントの中に入っていった。
セレスは彼女に少し笑ってみせてそれに続いた。
リアはしばらくテントを見つめたあと、踵を返して去っていった。

 テントに入るとアシュアがすでにテーブルの上にあったパンをとりあげてかぶりついているところだった。
「なんか気にくわねえ、あの女」
アシュアはぶつぶつと文句を言った。
ケイナは疲れたのかすぐにベッドの上に身を投げ出した。
木組みの台に毛皮を敷いて厚い布をかけただけの簡素なベッドだった。
「リアは悪い人じゃないと思うよ」
セレスは言った。
「そういう問題じゃないんだよ。おれはああいうのは虫が好かねえんだ」
「いきなり剣を向けたから?」
セレスは椅子に腰掛けながら言った。アシュアはそれには答えず不機嫌そうにパンをぱくついていた。セレスは肩をすくめた。
「ケイナ、お腹すいてないの? おいしそうだよ」
セレスはテーブルの上に乗ったパンや焼いてスライスした肉、果物が盛り付けられた皿を見ながら言った。
「腹は減ってない……」
ケイナはベッドに突っ伏したまま答えた。
「ミルクもあるよ」
「世話焼き女房みてえだな」
アシュアがぶっきらぼうに言った。セレスはアシュアを睨んだ。
「おれに当たるなよ。うるさいな」
「けっ」
アシュアは水差しの水を木製のカップに注いで勢いよく飲み干した。
「せっかく辿り着いたんだからそんな不機嫌そうな顔をしないでよ、アシュア」
セレスはミルクに口をつけながら言った。アシュアがこんなに機嫌を損ねるのはめずらしい。よほどリアのことが気に入らないのだろう。
「ケイナ」
セレスは再びケイナを振り向いて呼んだ。
「なにか食べないともたないよ」
しかし応答がない。セレスはまた何か冷やかされるかな、と思いながらアシュアをちらりと見て立ち上がるとケイナのそばに歩み寄った。
そして顔を覗き込んでかぶりを振った。
「どうした?」
アシュアが尋ねた。
「寝てる」
セレスは答えた。ケイナはすでに小さな寝息をたてて眠っていた。
「ノマドに来ると、やっぱり落ち着くのかな……」
セレスはそばにあった毛布をケイナにかけてやるとテーブルに戻ってつぶやいた。
「眠れるときに眠るのがいいさ」
アシュアは言った。
「これから先、何があるか分からねえんだし」
「そうだね……」
セレスはうなずいた。