20-4 遊牧民

 あれだけ森の中を彷徨い人の気配すら感じられなかったというのに、ものの10分ほど歩くと3人は周囲に複数の気配を感じるようになった。
木の幹に刃物のあとがあったり、草の上にも自分たちのものでない足跡が見られるようになった。
やがて3人は森の木々に囲まれた中に20ほどのテントのようなものが集まっている光景をまのあたりにして呆然とした。
大小さまざまな大きさのテントがひときわ大きなテントを中心にして散在している。テントの屋根は尖っていて、壁を構成する布にはそれぞれに色鮮やかな文様が描かれていた。
上を見上げるとまるで集落を覆い込むように森の木々が高い天井を形づくっていた。
その枝葉の隙間から夢見るような光がいく筋も地上に落ちている。
「きれい……」
セレスは思わずつぶやいた。
確かに美しい光景だった。
「こんな広い場所に陣取ってて、全然分からなかったとはな……」
アシュアは導かれるままに歩きながら周囲を見回して言った。
「今日はあなたがたを連れてくるというので、みなにはテントの中に入ってもらっています。 今くらいの時間ならもっとにぎやかなのですが」
先に立って歩いていた灰色の服の者が振り向いて言った。
「ここ、ケイナのいたノマド?」
セレスが尋ねるとケイナはかぶりを振った。
「違う…… テントの文様も…… 憶えがない」
「あなたはエスタスにいたんですね」
そう言うと灰色の服の者が頭から布をとった。栗色の髪がこぼれ落ちるように肩に広がった。
アシュアが目を丸くした。
「女……?」
「女です。いけませんか?」
彼女はアシュアを見てにっこりと笑った。口元がふっくらとして愛らしい笑顔だった。
「い、いや…… そんなわけじゃ……」
「リアです。ケイナ」
彼女は言った。セレスはそっとケイナの顔を見た。
「リア……?」
ケイナはつぶやいた。
「なんで、おれの名前を?」
「私もエスタスにいたから」
リアは微笑んで言った。しかし、ケイナはわずかに首を振って目を伏せた。
「あんたのことは知らない」
「そうだと思うわ。あのときはお互いに子供だったから。でも、私はすぐにあなたのことが分かった。昔からきれいな人だったわ。今も全然変わらないのね」
彼女はもう一度微笑むと、3人を促して再び先に立って歩き始めた。艶のある髪が光の中で揺れた。
いくつかのテントの前を通り、リアは中央の大きなテントの前に来て立ち止まった。
「長老のテントです。あなたがたに会いたいということなので……」
リアはそう言うと入り口の覆いを持ち上げ、3人に入るように目で合図した。
3人は一瞬ためらったがケイナが意を決して先に中に入り、そのあとにセレスとアシュアが入った。最後にリアが続いた。
 テントの中は一部に布で区切りがしてあったがかなり広かった。布を通して外の光が透けて明るい。
一角に外と同じ文様が施された織物が敷いてあり、その上にいかにも手作りらしい小さな木のテーブルと椅子が数脚並べてあった。どちらもかなり古びたものだ。
「長老が来ますから、座って待っていてください」
リアはそう言うと、区切りの布が張ってある奥に引っ込んでいった。
「何か不思議なにおいがしないか?」
椅子に腰掛けながらアシュアが言った。セレスは鼻をくんくん鳴らした。確かに甘い匂いがする。植物の香りに思える。
「ハーブオイルを焚いているんだ…… ノマドではどこでもよくやってる。ジェニファの部屋もこんな感じだった」
ケイナは言った
しばらくして、気配がしたので3人は仕切りのほうに目を向けた。
青と黒の幾重にも重ねた布でできた服を着た、背の高い男が近づいてくるのが見えた。
その顔を見たとき、3人は思わず目を見張った。リアにそっくりだったからだ。しかし、リア自身は後ろからついていきている。
「驚いた…… そっくりじゃねえか……」
アシュアはつぶやいた。
「ようこそ…… ぼくはトリといいます」
男は笑みを浮かべた。リアと同じ栗色の髪が肩の下まで垂れていた。
「リアとぼくは一卵性双生児なのです」
トリは言った。
「一卵性では同性になるんじゃねぇの?」
アシュアが言うと、トリはほほえんだ。
「普通はそうでしょうね」
ケイナは黙ってトリを見つめた。
どこかで会ったような気がする。でも、思い出せなかった。
「無理に思い出すことはないよ。きみはエスタスを出るとき、記憶を消されているから」
ケイナの心を読んだようにトリは言った。 ケイナは目を細めた。
「そんなはずはない。覚えていることもある……。森で遊んだことや、みんなで誕生日に祝ってくれたことや……」
「でも、人の顔は思い出せないでしょう?」
トリの言うとおりだった。ケイナは戸惑ったように目を伏せた。
「あの…… ト、トリは…… ケイナと同じコミュニティー…… にいたの?」
セレスが言った。
トリは空いていた椅子に腰をおろすとセレスを見た。落ち着いた静かなまなざしだった。
同じ目でもリアは厳しさと攻撃的な目をしている。双児なのに雰囲気はまるで違っていた。
「そうですよ。ケイナとはよく一緒に遊んでいた。ぼくは3年前にエスタスを離れたんです。 エスタスは少し大きくなり過ぎたから。コミュニティーはだいたい30人から50人くらいが一番動きやすいんです。ぼくはエスタスの長老に自分が統率しやすいメンバーを引き抜いてひとつのコミュニティーを形成させるように言われました」
アシュアはトリの顔をまじまじと見た。
トリはどんなにひいき目に見ても、自分とそう年が違わない。こんなに若い者が30人もの人間を統率しているノマドとはいったい何なのだろう。
「一度はノマドを離れたきみが、もう一度自分から戻ってくるとは思わなかった」
トリはケイナを見つめて言った。しかし、ケイナはその視線から逃れるように目を伏せて首を振った。
「離れたとか、戻ったとか…… 全部おれの意思じゃない。そもそも、おれは自分がいったい誰なのかも分からない……」
トリはケイナを黙って見つめた。
心配そうにふたりを見つめていたセレスはふいに異様な殺気を感じた。
「セレス!」
アシュアが叫ぶのが聞こえた。
セレスは何が起こったかを理解するのにしばらく時間がかかった。
ケイナが隣にいたセレスをかばうように身を乗り出し、右腕を前に出して防御の姿勢を取っていた。
セレスはそのケイナの後ろから手を前に掲げ、そしてふたりの前にはリアの振りかざした剣がわずか数センチのところでぴたりと空中で静止していた。
リアは鬼のような顔をしていたが、やがてかすかな笑みを見せると剣を外し腰のさやにおさめた。
「失礼」
リアはほほえんで言った。その横でトリはまったく表情を変えずに座っていた。
「なぜ、こんなことをする!」
ケイナは怒りを剥き出しにしてリアに怒鳴った。アシュアもまだ体中に緊張をみなぎらせている。
「ケイナ、全然変わってないね」
彼女はにっこり笑った。
「わたしはあなたの許婚者だったのよ」
その言葉に3人はぎょっとした。