20-3 遊牧民

「ミズ・リィ…… 朝食をおとりになりませんか……」
秘書のクーシェは言った。
トウは疲労で真っ赤になった目を彼女に向けた。その目があまりにも鬼気迫っていたのでクーシェは思わず身をこわばらせた。
「ほっといて。自分の仕事をちゃんとやってちょうだい」
「分かりました……」
突っぱねるようなトウの返事に彼女はがっかりしたような様子で背を向けた。
それを見てもトウは可哀相などとは思わなかった。あの年老いた女はこんなふうに虐げられていくことに生き甲斐を見い出しているのだ。せめて解雇しないだけでも有り難いと思ってもらわなくては。
明るくなってきた窓の外に目を向けた。近づくと眼下のシティがまるでおもちゃの街のように見える。
こんなに敗北感を感じたことはなかった。
カインは病院を脱走し、アシュアは裏切り、ケイナもセレスも行方がしれない。
わずか17、8歳の子供に対して訓練を積んだ男どもが全く何の役にもたたない。
全員が行動をともにしているのは察しがついた。おそらくカインも何らかの方法でほかの3人と合流するつもりだ。
「ばかな子たち……」
トウはつぶやいて下のシティを見下ろした。
「ケイナ・カートがどうなるかを目のあたりにして、自分たちでなんとかできるとでも思っているの」
トウはデスクに向き直った。
熱いコーヒーを飲みたかった。頭のすみでぼんやりとコーヒーのことを考えながら、彼女はコツコツと指でデスクを叩いていた。
「手後れになるっていうのが…… 分からないの…… 早くしないと死ぬわよ、彼は。先はないのよ」
トウはつぶやいた。
それだけではなかった。
彼女は自分の足元が頼りなく揺らいでいることを感じていた。
私は間違ってないわ……
トウは自分に言い聞かせた。
私は間違ってない。
間違ってなんかないわ。

 ようようの思いでドクター・レイの家の前についたカインは体力を使い果たして失神寸前だった。
地球で助けてくれた女がつけてくれた麻酔薬はとっくに切れており、高熱で口がからからに渇ききっていた。
ドクターの家のインターホンを押したあと、カインはずるずるとドアにもたれかかるようにして地面に倒れ込んだ。
「どなた?」
しばらくして頭上でインターホンのモニターから声がしたが、カインは返事をすることすらできなかった。
きっとドクターの妻、マリアだろう。
誰の姿も見えないのでもしかしたら警戒してドアを開けてもらえないかもしれない。
しかし、ドアは開かれた。
カインは顔をあげたが目がかすんでよく見えなかった。女性にしてはたくましい足がぼんやりと見え、それが見覚えのあるマリアの足だと知ってほっとした。
「カイン……!!」
驚愕の声をあげ、彼女が自分を抱き起こすのを感じた。
「ジュナ! ジュナ! パパを起こして! 早く!!」
その声を聞きながらカインは気を失った。

「カイン……?」
セレスはふと立ち止まって後ろを振り向いた。
「どうした」
アシュアがそれに気づいて言った。
「カインの声が聞こえたような気がした。ケイナを呼んでた」
「え?」
セレスの言葉にアシュアは目を細めた。
「おれも聞こえた」
先を歩いていたケイナも言った。
「カインがここにいるはずがない」
アシュアはかぶりを振る。
「おれもそう思うよ」
ケイナは足をとめると森の奥を眺めながら答えた。
「でも…… すごくはっきりと聞こえたような気がしたんだけどな……」
セレスは腑に落ちないようだった。
ケイナは立ち止まったままずっと森の奥を見つめている。その様子がさっきまでのケイナと違うことに気づいたアシュアは彼に近づいた。
「何か気になることがあるのか?」
ケイナはアシュアを見た。
「聞こえないんだ……」
ケイナは言った。
「うるさいくらいおれを呼ぶ声がしていたのに…… カインの声が聞こえたと同時に何も聞こえなくなった」
「え……」
アシュアは面喰らった。
「それ、もしかして、どこに行けばいいのか分からなくなったってことか?」
ケイナは何も言わなかった。 アシュアはため息をついてかぶりを振った。
「やれやれ……」
彼は両手をあげて嘆くと近くの木にもたれかかった。その途端に顔をこわばらせた。
「動かないように」
ボーイソプラノのような細い声がしたかと思うと、見たこともない白く光る剣が木の後ろからアシュアの首に水平につきつけられていた。
セレスが仰天してアシュアに駆け寄ろうとするのをケイナが慌てて止めた。
アシュアの首元に剣を突きつけたまま、声の主が木の影から姿をあらわした。
すすけたような灰色の布をすっぽりと頭からかぶり、見えているのは目だけだ。
セレスはその人間が実に原始的な布製の編みあげ靴を履いているのを見た。
「申し訳ありませんが、あなたの腕の通信機を外してください」
彼、とも彼女、とも分からぬその者はアシュアに言った。
「誰だ、おまえ……」
アシュアは鋭い目を相手に向けた。訓練を積んだアシュアやましてやケイナにさえ気配を悟られずに近づくなど普通ではなかった。
「トラスの者です。ノマドのコミュニティの1つです。この森は今、我々が管理しています」
「トラス……」
ケイナはつぶやいた。全く憶えのない名前だった。
「通信機を」
再びその者が言ったので、アシュアは渋々腕から通信機を外した。
「磁場の影響でとっくに壊れているぜ」
アシュアはそう言ったが、その者はちらりとアシュアを見て通信機を受け取るとそれを地面に落して勢いよく剣を突き立てた。
通信機はかすかに放電して赤かった画面に何も映らなくなった。
「この通信機に追尾装置がはめこまれていることを御存じではありませんでしたか?」
灰色の布の奥からその者は言った。
「追尾装置?」
アシュアは目を丸くした。
「軍仕様のものにはたいがい極秘にセットされているんです。あなたのようなシークレットの兵士ならなおさら。理由はただひとつ。裏切らないように見張るためです。普段は作動しませんが、管理者のほうで暗号を入れると居場所を知らせる信号が自動で発信されます。森は強力な磁場で保護されていますから大丈夫ですが、これから先のコミュニティーには磁場が設置してありません。居場所を知られては困るのです」
アシュアは何も言えずに目を見開いて相手を見つめていた。
追尾装置が設置してあるなど全く知らないことだった。
何よりこの小汚い布を被った奴が、自分のことを『ビート』のメンバーだと 見破っていることも驚きだった。
灰色の者は剣を腰のさやにおさめるとケイナに向き直った。
「長老があなたのことを覚えていると言いました。御案内します」
そう言うとその者は先に立って歩き始めた。ケイナとセレスは顔を見合わせてそれに続いた。その後ろからアシュアも歩き始めた。