20-1 遊牧民

 もうすぐ夜が明ける……
カインは白み始めた空を見て思った。アシュアたちは今頃どうしているだろう。
「ちょっと待ってて」
エアポートの片隅に停泊している小さな飛行艇の前で女はそう言うと、カインを置いて中に入っていった。
しばらくして彼女に連れられて出てきたのは彼女よりはひと回りほど年上に見えるがっちりした体格の男だった。目深に被った黒いキャップ型の帽子が大きな頭の上に窮屈そうに乗っている。
「ごめん、この子を乗せてやって欲しいの。またハーブを1キロほどさばいてあげるから、それでお願いできない?」
男はカインの頭の先から足の先までをじろじろと眺めた。
「ヤバかねぇだろうな。中央に追われてるやつは最近まずいんだ」
当たらずとも遠からずだった。今頃病院中大騒ぎになっているだろうからだ。
「こんな品のいいお坊っちゃんがそんな人間なわけないじゃない。恋人かなんかがコリュボスにいるらしいのよ」
カインが黙っているので、女が助け船を出した。男は不審そうに目を細めた。
「おまえの顔、どっかで見たことがあるような気がするんだよなあ……」
男は思い出せない、というように首をかしげた。
「あら! あんたにこんな貴公子さまの知り合いがいたなんて初耳ね」
女はそう言うとけらけらと笑った。
「おれの知り合いじゃねえよ。なんか、どこかで…… マスコミかなんかがらみじゃねえかな……」
「人違いです。ぼくには縁のない世界で」
カインは言った。
「最近の子はみんなきれいな顔立ちをしてるもの。あんた、歌手とか俳優とかと間違ってるんじゃない?」
女は再び笑ったが男は解せない様子で訝し気にカインを見つめた。
カインはマスコミに顔を出したことはなかったが、もしかしたらカンパニーがらみの仕事をした人間なら自分の顔を知っている可能性はあった。トウに息子がいることは誰もが知っていたからだ。
しかし、一般の従業員はほとんど会ったことはないはずだ。ビートに配属してからはなおのこと自分の顔は伏せられていた。カインは男が思い出さないことを願った。
「とにかくもう船が出るんでしょ? 頼むわよ。恋人が待ってるんだから」
女はそう言うと、男の背を押した。男はしぶしぶカインに向かって船に乗るよう顎をしゃくった。
「下の倉庫になるぜ。そこだとセンサーがないんだ。狭いが3時間の辛抱だ」
男は船の下に続く細い階段を指差して言った。
「乗組員はおれだけだし、乗ってる荷物は一般家庭に送る個人荷物だ。検疫、検閲をすませてるからよっぽどでない限り向こうに着陸して船の中をチェックされることはないが、ごくたまにもう一度検閲が入ることがある。そのときはもうどうしようもないから覚悟しな」
男はカインに言った。カインはうなずいて船のステップの上にもう一度顔を出して女を見た。
「無事に着くことを祈ってるわ。恋人に会えるといいわね」
女は笑みを見せていった。
「いろいろどうもありがとう」
カインは女に礼を言った。
「名前だけでも教えてくれませんか」
「名前なんかどうだっていいじゃない」
女ははにかむような笑みを見せた。
「もう二度と会うこともないでしょうし」
「でも……」
「私を探そうなんて思っちゃだめよ。あんたがこっちに戻ってきても、私はもうあのアパートにはいないわ。よく引っ越しをするの。でないとヤバイんだもの」
カインはしばらく女の顔を見つめた。
「どうして見も知らぬぼくにこんなによくしてくれたんです?」
カインの言葉を聞いて女は肩をすくめた。
「私は大人になってから父の病院で看護婦をしていたの。小さい頃ね…… 私はまだ6歳だったから父の仕事をちょっとだけ手伝ってただけなんだけど、場末の小汚い病院には不釣り合いなきれいな女の人が来たことがあるのよ。東洋系のすごくきれいな人だったわ。姉と妹で連れ立って来てて、あんまりきれいだからぼーっとして見とれちゃったの。あんなふうになれたらいいなってずっと思ってた。ま、だめだったけどね」
女はくすくすと笑った。
「おい、そろそろ中に入ってくれ。ステップを片付けるから」
男が促したので、カインはしかたなく倉庫に降りる階段に足をかけた。
「あんたの顔がね、その女の人にそっくりなのよ」
カインは思わず振り向いた。
「その女性の名前は?」
カインの言葉に女は目を丸くした。
「知らないわ。妹さんの受精卵をお姉さんのお腹に移す手術だったのよ。なんかわけありだったみたいで名前も居住地も全部ノーチェックよ」
カインは再び口を開こうとしたが、男がステップを切り離して船室のドアを閉めるところだった。
「早く中に入れよ」
男はカインの背を押した。
「そうだ、一度だけお姉さんのほうが妹の名前を呼んだわ!」
女はぽん、と手をたたいた。
「トウ……」
船室のドアがばたんと閉じられた。
カインは呻いて急いで近くの窓を探すと駆け寄った。船室中荷物が高く詰まれ、顔が少し覗く程度の窓も半分荷物で隠れていた。
「名前はトウなのか?!」
カインは怒鳴った。
しかし外の女に聞こえるはずはなかった。
彼女は手を振っていた。
船のエンジンが響き、カインは思わず 右のこぶしを固めて近くにあった荷物を殴りつけた。

 しばらくまんじりともしないで外の暗い空間を見つめていた。
見慣れたコリュボスのドームが見えてきたとき、カインは思いをふっきるように立ち上がった。
エアポートのチカチカと光るライトが次第に大きくなり、やがて船はエアポートの一番隅に着陸した。
「しばらくじっとしてな。検閲が入るかどうか、様子を見るから」
男の声が頭の上から聞こえた。
10分ほどして男が船室と操縦室のドアを開けて顔を覗かせた。
「ラッキーだったな。今日はチェックがないらしいぜ。もう出てもいいぞ」
「どうもありがとう」
カインは男に言った。男はしばらくカインの顔を見つめていたが、かすかに笑みを浮かべて肩をすくめた。
「ほんとなら渡航代で50万必要なんだよ。あんたはベックが個人的に頼んで来たやつだから例外中の例外でタダにしておくよ」
そう言ってから、はっとして気づいたようにカインを見た。
「今、言ったことは忘れろよ。地球に戻ってからあいつを探そうと思うなよ。そんなことをするとあいつの身が危なくなる」
カインが彼女の名前をベックと記憶したことを男は読んだらしかった。
「彼女に会って確かめたいことがあるんです」
カインは言ったが、男は首を振った。
「諦めるんだな。おれも、二度とおまえには会わない。今日通った航行ルートも今日が最後だ。明日からは同じルートを通らない。船も変える」
「そこまでしてなぜ密航の手助けをするんです?」
カインの言葉に男はにやりと笑った。
「金になるからだよ。荷物運びをしているよりもずっとな。今回は金にならなかったけど」
そしてカインの顔を見た。
「見るからに育ちの良さそうなあんたみたいな人間を運ぶことなんざほとんどないんだよ。おおかたはハーブ運びをしている奴や、スネに傷を持つようなやつばかりさ。だからこそ大金が動くんだ。コリュボスの警備局のきつさはあんただって知っているだろう? それをノーチェックで運んでやるんだから当然だ」
カインは目を伏せた。その表情を見て男は言った。
「裏で動く人間は慈善事業はしない。こっちも命をはっているからだ。あんたがもしおれたちのような人間に何かを頼みたいと思ったら、次は金を用意しておけ。それがたとえ情報を得たい場合でもな。だが、仲間を陥れるような情報は一切流さないぜ。それだけは頭に入れておけよ」
男は顎をしゃくって、出ろ、という素振りをした。カインは男に軽く会釈をすると船室を出た。そして船を降りた。
「じゃあな」
男はそう言って船のドアを閉めた。
カインは踵を返して歩き始めた。
今頃地球では大騒ぎをしているだろうが、まさかコリュボスに渡っているとは誰も想像できないだろう。
とはいえ自分のアパートにいくらなんでも戻るわけにはいかない。
どこに行けばいいだろう……。カインの頭にふと思いついた人物がいた。
「ドクター・レイ……」
カインはしばらく思案したが、それしか方法がないと思った。彼なら自分の味方についてくれるはずだ。
しかし、ドクターの家まで8キロはあった。
歩き通せるだろうか、と思いつつカインは空港をあとにした。