19-9 夢

「ジェニファ!」
アシュアは仰天して祈祷台にした石の前にかがみ込んでいたジェニファを呼んだ。セレスが起き上がったからだ。手から水晶が落ちて転がっていった。
セレスは目を飛び出さんばかりに見開き、両手で首を押さえている。
ジェニファは急いでセレスに駆け寄った。
「いったいどうしたんだ!。」
アシュアはジェニファに詰め寄った。
「まだ催眠状態のままだわ。何かが起こってるのよ」
ジェニファは隣に横たわるケイナを見た。ケイナは目を閉じたままだ。
「変だわ…… 誰かよけいな意識が入ってる?」
「え?」
アシュアは目を細めた。
「彼じゃないわ。自分じゃ手出しができないからほかの誰かの意識を呼び込んだわね」
「どういうことだ?」
アシュアはジェニファを見た。
「誰か分からないけどほかの人間の意識を呼び込んでその人間にセレスを殺させようとしてるんだわ」
ジェニファはアシュアを見上げて言った。
「セレスは抵抗できないのか?」
「見も知らない人間なら抵抗するわよ。きっとセレスが抵抗できない人間を呼んだんだわ。 いったい誰なの。今ごろケイナのことを考えてる人間って誰? 呼び込みやすいのはそういう人よ」
「まさか……」
アシュアは呆然とした。血の気がひく思いだった。
「カインだ……」
アシュアは言った。
「でも、そんなこと、あり得ない。カインはセレスを殺めるようなやつじゃない。それにあいつは今地球にいるんだ」
「場所なんて関係ないわ。それに意識下では無防備よ」
ジェニファは言った。
「何にも身につけないで素っ裸でいるのと一緒よ。誘惑や錯乱にすぐに迷い込むわ。セレスは本体のケイナを信じる力さえあればいい。でも、彼はどうなの?」
アシュアは苦しんでもがいているセレスを押さえながら絶句した。腕を押さえていないと苦しみのあまり自分で自分の首を爪で引き裂かんばかりの様相だった。
「カインがセレスを殺められないんじゃないわ。セレスがカインを殺められないのよ。分かる?  あそこでカインを殺してしまったら、カインが永久に目覚めないのよ」
「どうすれば……」
「中止よ。今ならまだ間に合うわ」
ジェニファは言った。
「残念だけど、今回も失敗。どうしてこんなに予想外のことばかり起こるの」
ジェニファは唇を噛んだ。アシュアはうなずくしかなかった。
ジェニファは気乗りのしない様子でケイナに近づき、しばらくその顔をじっと見つめた。
「じゃあ、目覚めさせるから…… 全員にちょっと負担がかかるかもしれないけど」
そう言ってケイナの上に身をかがめた途端、彼女は悲鳴をあげてケイナから離れた。
アシュアはその声に仰天して彼女を見た。そしてそのあとに体中の血が凍りついたように思った。
ケイナがゆっくりと起き上がったからだ。
「催眠が解けてるのか……?」
アシュアは掠れた声で言って身構えた。暴走したケイナなら戦わなければならなかった。
「違うわ。彼はまだ催眠状態のままよ。でも、なんで……」
アシュアはジェニファをかばうようにしてケイナを見つめた。ケイナはゆっくりと顔をあげ、ふたりを見た。
「だいじょうぶ…… おれ…… だ……」
ケイナはゆっくりと言った。
ジェニファもアシュアも呆然としてケイナを見つめた。なんで催眠状態なのに、話せるんだ?
ケイナは首を押さえて苦しむセレスに向き直るとゆっくりと彼の手を喉元から引き離した。
セレスはすでに体にひくひくと痙攣を起こしていた。顔から血の気がひいている。
きっと意識下でカインに首を絞められているのかもしれない。
「セレス…… おれの声を聞いて……」
ケイナはセレスの体を抱き締めた。
「セレス…… 頼むよ、おれの声を聞いて……」
アシュアは信じられない思いでふたりを見つめた。

 セレスは首を絞められながら頭の後ろが水にひたされるのを感じていた。
ジェニファ、教えて! おれ、どうすればいいんだよ……!
次の瞬間、顔が全部湖中に沈んだ。
ケイナと出会ったときからのことがめまぐるしく頭を駆け巡った。
ぶっきらぼうで笑みを見せないケイナ。
髪をかきあげたあとに必ず視線を落とす癖があった。
ダイニングの前で殴られたこと、アパートで無防備に眠り込んでいたケイナの姿、エアポートで小さな女の子と笑い合っていたケイナ……。
おれはケイナが好きだ。
人に触れること、笑顔を見せること、弱味を見せることはけっして恥ずかしいことじゃない。
ケイナは一生懸命それを探してる。生きることを望んでる。寂しさと辛さに体中で堪えてる……
そんなケイナがおれは好きなんだ……
「地球に行きたい。 ……本当の海が見たい……」
ケイナの言葉が頭に響いた。
ずっとずっと前、海はきれいだったんだ。ケイナの目みたいに藍色でコバルトブルーで、 きれいだったよ……

『セレス……おれの声を聞いて…… おまえがおれに声を届かせたように、おれの声も届かないか……』

セレスは目を開けた。ケイナの姿が目の前にあった。
「ケイナ……」
セレスはケイナの姿に手を伸ばした。
『ここではおまえに触れられないんだ…… でも、今、おまえを抱き締めてるよ。おまえに話しかけてるよ』
ケイナは言った。目を閉じるとケイナの柔らかな髪が頬に触れたような気がした。
「うん。 ……分かるよ……」
セレスはつぶやいた。ふいに別の声が聞こえてきた。

『トウ…… どうしてぼくにそんなに冷たい目を向けるんだ……』

カイン…… カインの声だ……

『おまえたちなしでおれだけ生きていくのは嫌だからな……』

アシュアの苦悩に満ちた声が響いた。

ずっとずっと昔、海はきれいだったんだ。
ケイナの目みたいに藍色で、コバルトブルーで、きれいだったよ……
ラインのライブラリで見たんだ。
本当にきれいだった。透明で光にあふれてた。それを教えてくれたのは

カインだ……

セレスは目を開いた。
「あっ……!!!」
カインは呻いて思わずセレスから手を離した。彼は左腕を押さえて水の中にうずくまった。
左腕の傷口から再び血が流れ始めた。
「おれ、もう間違えない」
セレスは水の中から立ち上がった。全身からぽたぽたと水が真珠のように光りながら落ちた。
目の前のケイナが一歩後ずさりした。
「おまえはケイナじゃない」
セレスは右手に食い込んだ水晶を確かめるように見て握りしめた。
「そんな石、通用するものか」
ケイナは笑った。そしてすばやくセレスの右手を絞めるように掴んだ。あまりの痛さにセレスは顔をしかめた。
「石は石だ」
ケイナは嫌悪を感じるような禍々しい笑みを浮かべてセレスの顔を覗き込んだ。
セレスは鈍い音をたてて自分の肉を裂いて水晶が砕け散るのを感じた。手のひらから流れた血がケイナの手に伝わっていく。
「こんなことでしか自分を表現できないのかよ」
セレスは痛みをこらえながら言った。
「おれは言ったよな。人間ていろんな思いで生きてるんだって」
セレスは掴まれていない自分の左手を握りしめた。ケイナの表情が変わった。
「みんなのいろんな思いが重なるから生きていくのが辛いし悲しくもなるんだ。おれの中に流れてるのはケイナのたったひとつだけの思いじゃない。ケイナだけの思いじゃない」
セレスの左手が光を放ち始めた。ケイナが危険を感じてよけるよりも早く、セレスは彼の顔を殴りつけていた。
閃光が散り、ケイナの鋭い叫び声が響いた。
彼はセレスから手を離すとひたいをおさえてうめきながら後ろによろめいた。彼の指の間から真っ赤な血が吹き出して水に落ちた。
セレスは荒い息を吐いてカインがうずくまる場所まで後ずさりした。
「セレス、あれはケイナじゃない……」
カインが苦し気に言うのが聞こえた。
「分かってる……」
セレスは答えた。
「おれを解放したら、苦しむことも、後悔することもないのに……」
ケイナは血がしたたり落ちる顔をあげた。
ひたいがぱっくりと裂けている。その裂け目から赤い血とともに 目をそらしたくなる頭蓋の中身が見えていた。
「そのかわり人を信じることも、愛することもなくなるよ」
セレスは負けない、と思った。
「ケイナ、分かる? あんたの利き腕は左だ。今おれの左手があんたの手だよ。自分でいらない奴をやっつけろ」
セレスはぎゅっと目を閉じたあと、大きく息を吸い込むとケイナに向かって再び手を振り上げた。
「出ていけ!!」
セレスは勢いよくケイナに飛び掛かり、そして再びぴたりと左手を彼の裂けたひたいに押し当てた。水の中に倒れ込んだふたりの周りに音のない水の光が散らばった