19-6 夢

 セレスはふと目を開けた。そして身を起こしてあたりを見回した。
ここはどこだろう…… わけの分からない木や草があたり一面に生い茂っている。
「これがケイナの意識の中?」
立ち上がって顔をめぐらせた。
高い木がはるか頭上まで伸び、異様な形にとぐろを巻いてほかの木とからみあっている。地面に生えた草はセレスのふとももあたりまであった。
セレスは握りしめている水晶玉に気がつくとそれを落とさないように腰のポケットの奥深くに入れた。
「このどこかにもうひとりのケイナがいるのかな……」
踏み出した足下がなんだか妙に実体がなくて頼り無い。こんなこんがらかった場所で見つけられるんだろうか。会えなかったらどうするんだろう。
セレスは不安を覚えながら歩いた。どこに行けばいいのかさっぱり分からなかった。
  しばらく歩くと、急に目の前が開けて大きな湖が広がった。ケイナと行った湖によく似ている。
波うち際に近づき覗き込んだ。透明でずっと先まで底が見えている。白い砂が揺らいでいた。
上を見ると白っぽい霧がおりていて、晴れているのか曇っているのかは分からなかった。遠くにあるはずの水平線も曖昧だ。しかし湖面は何かに反射してちらちらと光を放っている。
「ケイナはあの湖が好きだったんだよな……」
セレスはつぶやいた。
「でも、何度も水に身を沈めて泡になってしまえたらと考えたよ」
ふいに背後で声がしたので、セレスはぎょっとして振り返った。そこにはケイナが立っていた。
セレスは思わず身構えた。しかし、立っているケイナからは殺気がない。
「会いたかった……」
ケイナはそう言うとセレスに腕を伸ばし抱き締めた。
「さっきまで一緒にいたじゃないか」
セレスは困惑して言った。
「こんなふうにいつも素直に抱き締めることができたらどんなにいいだろうかと思った」
セレスは目を細めた。
違う…… 彼は暴走したケイナではない。もちろんいつものケイナではない。ケイナはよっぽどでなければ自分から人に触れたりしない。
とすれば死を願うほうのケイナだ。
「あいつを倒しに来たんだろう」
ケイナは言った。
「そうすればおれも消えるから」
セレスは身を離すと無言でケイナを見つめた。
目が優しい。いや、優しいんじゃない。深い憂いだ。
失望して、怖がって、諦めている。
「おれはもともとあいつがいるから『本当の』意識がつくりだしたものだ。あいつが消えればおれも消える。体はひとつしかない。残りのふたつは余計だ。おれは本体の本音だけを集めた意識体なんだ…… 本体も知らないような本音をね」
ケイナは寂しそうに笑った。
「人間は知らないほうがいいことだってあるんだよ。それがたとえ自分のことでも」
ケイナは何を言っているのだろう。自分も知らない自分…… 確かにそういうことはあるかもしれないけれど。
「それを教えてやろうか……」
目を伏せたケイナの表情がふいに変わった。
セレスは思わずあとずさりした。自分を見つめるケイナの目にはさっきの憂いがなくなった。
代わりにぞっとするような冷たい光が宿り、口元にはあざ笑うような笑みが浮かんだ。
「あいつが失望している。もう少しでおまえをもう一度抱き締められたのにと残念がってる」
ケイナは髪をかきあげた。その癖はいつものケイナだ。
でも違う。なんだろう…… まるで目を反らしたくなるような禍々しさを感じる。
セレスは油断なくケイナを睨みながら思った。
こいつはもうひとりのケイナだ。セレスは水晶玉を取り出して握り締めた。
「そんなもの役に立つもんか」
ケイナはそう言うとセレスに一歩近づいた。
「こんなところに来てしまったら思うつぼじゃないか」
ケイナが腕を伸ばしたので、セレスは慌てて逃げようとしたが、あっという間に腕を掴まれてしまった。
抵抗してもびくともしない。
ケイナはそのままずぶずぶと湖にセレスを引き摺り込み、腰までの深さまで来たところでセレスの後頭部を押さえて湖面に顔を無理矢理近づけた。
「な…… なにするんだよ……!」
セレスは必死になって抵抗しながら叫んだ。不思議と水の冷たさは感じなかった。
「自分の顔をよく見ろ」
ケイナは言った。セレスは湖面に目を向けた。
湖面は見る間に鏡のような質感を持ち、そこに映しだされたのは確かに自分の顔だった。
だが、なんだかおかしい。自分の顔には変わりはないのだが、妙に輪郭が違う。
鼻梁が細くなり、顎の線も首も華奢だ。
セレスは思わずケイナに掴まれていないほうの手を顔の前に持ってきた。そしてぎょっとした。
これはおれの手じゃない。いくら細くったって、こんなに手首は細くない。
「なにこれ……」
「女だからさ」
ケイナはそう言って可笑しそうに笑った。
「最初から気づいていた。おまえには両方の性がある。見た目はマン、でもその中にはフィメールが入っている。おれはおまえのフィメールの部分を愛したんだ」
「女??」
セレスは水鏡にうつる自分の顔を見つめた。
こんなのは嘘だ。彼はきっと自分を混乱させようとしてこんなことをしているのだ。だってこれはケイナの夢の中じゃないか。セレスはそう自分に言い聞かせた。
「夢の中でもおれは真実だぜ」
ケイナはまるでセレスの心を読み取ったように言った。
セレスは無我夢中でケイナの腕を振り払った。
水の中に転びそうになりながら急いでケイナから離れた。
「おまえの言うことなど信じない。だっておまえは本当のケイナじゃないからだ」
セレスは目の前のケイナを真正面から見据えて言った。
「おれが信じるのは本当のケイナだけだ」
「だから『おれ』は最初からおまえを愛していたと言っているだろう」
ケイナは言った。
「それが真実なんだよ。さっきあいつも言っていただろう。おれたちは自分でも気づかない(本音)を集めた意識体なんだ。本音は本体のおれが考えてることだ。考えている人間はひとり、おれしかない」
セレスはわけがわからなくなっていた。
「おまえの見ていた本体のおれなど、他人にほとんど何も見せちゃいないさ」
ケイナは笑った。
「おまえを見るたびおれは何を考えていたと思う? 抱き締めたい、キスをしたい、おまえの全部を自分のものにしたい、そう思っていたんだ。誰もが持つ本能の欲求さ。それはおまえも同じだろう」
「いったい何を言ってるのか分からないよ……」
セレスはつぶやいた。
「抱き締めたり、キスをしたり、誰だって好きな人のことを思えばそんなこと考えるよ。叔母さんも兄さんもそうしてくれた。小さい時からそうしてくれたよ。おれだってケイナのことは好きだよ。だから……」
セレスはふっと言葉をきった。ケイナはにやりと笑った。
「だから抱かれたいと思うんだろう?」
「違う!」
セレスはかぶりを振った。
「そんなのじゃない…… ケイナはおれにとって大切な人だけど、違う……」
「それはおまえの実体が単に男だからだよ。おれはそんなふうにおまえを見ていない」
ケイナは言った。
「中身のおまえは女だ。おまえの遺伝子にはしっかりとフィメールの情報が刻みつけられているんだ。その中身をこんなところでさらけだしておれに何をさせようとしているんだ?」
ケイナは腕を伸ばしてセレスの腕を掴んだ。
「いったい何をさせようと?」
セレスはすぐ目の前にあるケイナの顔を凝視した。
逃げたくても逃げられない。
ケイナの顔はきれいだ。この顔を何度ほれぼれと見とれたことだろう。
彼の体から香るミントの香りが鼻をくすぐると、不思議と心が落ち着いた。
ケイナが笑ってくれるなら何でもしたい、と思った。彼のそばにいることだけがすべてだった。
「別になんにも不自然じゃない。おれはおまえのフィメールに惹かれたし、おまえはおれのそばにいたかった」
ケイナは言った。
「やめて……」
セレスはケイナが何をしようとしているのかを悟って恐怖に陥った。
でも、体が思うように動かない。
「ケイナ、いやだ。頼むからやめて……」
セレスは懇願した。
しかしセレスは冷たく柔らかな彼の唇が自分の唇に押しつけられるのを感じた。