19-3 夢

『これで最後だ……』
ケイナの声が頭に響いてカインははっとして目を開けた。
今何時だろう…… 左腕が脈打つように痛い。
肩から肘の下まで包帯でぐるぐる巻きにされているが肘から下の感覚がほとんどない。
もちろん指を動かすことすらできなかった。
看護婦が点滴の様子を身に来たのが午後10時だった。あれからまたうとうとと眠り込んだのだ。
「暑い……」
カインはつぶやいた。おそらく熱が出ているのだ。
『これで最後だ……』
再びケイナの声が頭に響いた。
カインはようやく気づいた。
そうだ…… 暗示が発動したのだ。ケイナはラインを出てしまった。
「まさか……」
カインは薄明かりのつく病室の天井を凝視した。
まさか、ユージーが今頃はラインから行方不明になってるっていうことはないだろうな……。
目を閉じると禍々しい赤い点や渦巻くような黒いしみが目の前を駆け巡り、カインは呻いて再び目を開けた。
すると、ほんの鼻の先で誰かが自分を覗き込んでいたので、思わず小さな悲鳴をあげた。
「ケイナ?!」
カインは仰天した。輪郭がはっきりしないが明らかにケイナだった。
『あのとき死んでいればこんな思いをせずに済んだのに……』
闇の中のケイナは言った。
カインは震えあがった。これはなんだ? 亡霊か? こいつはケイナ自身じゃない。ケイナに巣食うもうひとりのケイナだ。
『おまえはおれが欲しいんだよな……』
闇の中のケイナが白い手を伸ばしてきた。
カインの顔を両手で包み込んだ。そして自らの顔をよせてきた。
「やめろ……!」
カインは小さく叫んだ!押し退けようとしたが体が全く動かない。
『なぜ……? こうしたいとずっと願っていたんじゃなかったのか?』
ケイナはあざ笑うように言った。
「やめろ!!」
ケイナの唇が自分の唇と重なろうとした瞬間、カインは右手で空中を払い身を起こしていた。
体についていた心拍を計測する電極が外れた。
カインは肩で息をつきながら悟った。彼らはまだ逃げのびている。トウの手中にない。
3人はもう一度催眠であのケイナと戦うつもりだ。
カインは右手の甲についていた点滴の針を口で引き抜いた。
左手がいうことをきかないのでそうするより仕方がなかった。
よろめきそうになるのをこらえてベッドからおりると、病室のドアの脇に身を潜めた。
すぐに看護婦が慌ただしく入ってきた。
「カインさん! どうなさ……」
そこまで彼女が言ったところでカインは後ろから右肘で彼女の後頭部を強打した。看護婦の体は床に崩れ折れた。
カインは荒い息をついて倒れた看護婦をしばらく見つめると病室を抜け出した。
廊下には幸いにも人影はなかった。
ほかの人間が異変に気づくまでどれくらいの時間猶予があるだろう。
3分か、5分か……?
ここはいったい何階なんだろう。
カインは天井の監視モニターに気をつけながらすばやく近くの非常階段へ続く扉の奥に身を滑り込ませた。
壁を見ると58階と表示してあった。腕が燃えるように痛んだ。
「どこかに所員のロッカールームがあるはず……」
カインは荒い息の下でつぶやいた。病衣のままでは外に出られない。
おぼつかない足どりで彼は階段を降り、下階へ続く扉を開けて外を伺った。
幸いに人気はない。
カインは目の前に見えるロッカールームに向かい、身を滑り込ませた。そしてそこにあった手近なロッカーに手をかけた。当然のことながら鍵がかかっている。本人の認証カードか暗唱暗証番号が分からなければ開かない。
「思い出せ…… こういう場合はどうすると教わった……」
カインは薄れそうになる意識の中で必死になって記憶を探った。
ここで気を失うわけにはいかない。そのとき、背後でドアが開くのが分かった。
「誰だ、おまえ……」
その言葉が終わる前にカインは再び相手に強烈な一撃を首に与えていた。
今度はさすがに相手が倒れると同時に自分も床に膝をついた。
「誰かをぶん殴って盗む、という手がある…… か……」
カインは苦しい息の下でつぶやいた。
こんな体でもつのだろうか……
不安だったが、カインは右手で倒れた男を苦労して仰向かせ、胸の所員証明を見た。
「ハロル・ベッツ……」
カインはそうつぶやくと相手の胸のポケットをまさぐり、ロッカーの認証カードを抜き取った。
名前を掲げてあるロッカーに近づき、認証カードを差し込んだ。
ロッカーは音もなく開き、カインは適当に男の私服を取り出すと病衣を脱いで着替えた。
左手が使えないのは不自由きわまりなかった。脱いだ病衣はロッカーに入れた。
そして再び倒れている男に近づいて胸の所員証明を外し、それを自分の胸に苦労してつけた。
最後に男の通勤用の靴を履いた。サイズが合わなかったが歩くのに支障があるほどでもない。
「リィの息子、窃盗を働く……」
カインは顔を歪めた。トウが知ったらどうするだろう。
カインはロッカーを見回してエアバイクのキイとプライベ-ト用の小型通信機を見つけると、それをポケットに入れロッカーを閉じた。
床に落ちていた男のかかえていたらしい本を取り上げた。胸の所員証明に写真がついているのでこれでも抱えて隠しておかなければならない。
「生きてたらまた返しに来るよ……」
カインは倒れている男にそうつぶやくとロッカールームをあとにした。
何がなんでもコリュボスに行かなくては。何がなんでも。
カインの頭にはそれしかなかった。