19-10 夢

 再び閃光が走り、光の向こうでケイナの目が大きく見開かれてセレスを捉えたあとその顔が見る間に溶け始めた。
セレスはどんどん彼の皮膚が溶け、眼球が落ちていっても目をそらさなかった。
これは本当のケイナではない。
今はその確信があった。
最後にケイナは小さな光になり、そして消えた。
セレスは肩で息をついて立ち上がった。
「終わったよ……」
背後で声がしたのでセレスは振り返った。静かな顔をしたケイナが立っていた。
彼は近づくとセレスを抱き締めた。
「目が覚めたら、こんなふうに抱き締めることができたことを、きっと忘れていると思う……」
セレスはケイナに抱き締められながら、その肩ごしにカインが戸惑い気味に目をそらせるのを見た。
「セレス、暗示を解くのは簡単だ」
ケイナは言った。
「大切に思えばこそ。それだけだよ……」
そしてふっとその姿が消えた。
セレスはしばらく呆然として立ち尽くしていた。
はっとして水の中にうずくまるカインに駆け寄った。
「カイン、ごめんよ…… 現実の痛みを夢の中でも思い出させることになってしまって……」
「そろそろ目覚める頃だからいいんだよ」
カインは力ない笑みを見せた。セレスはカインに近づくと抱き締めた。
カインは驚いて動くほうの腕でセレスを受け止めた。
「カイン、生きててくれてほんとによかった。あんたには絶対死んで欲しくないんだ」
カインは笑みを浮かべた。
「きみは…… きみを殺そうとしたのに、ぼくを憎いと思わないの」
セレスは身体を離してカインの顔を見た。
「おれ、カインの目をこんなによく見たことはなかったと思う」
セレスは言った。
「メガネは壊れちゃったんだね」
「ああ……」
カインは笑った。
「ぼくは父ほど目が弱いわけじゃない。もうメガネは必要ないかもしれない」
セレスはそうつぶやくカインを見つめたあと、再び口を開いた。
「トウって…… カインのお母さんなの?」
「え?」
カインは目を見開いた。
「いや…… 伯母だ。どうしてトウのことを?」
「なんとなく…… トウって人の名前が、おれ、聞こえたような気がしたから」
カインはセレスを見つめ返した。そして笑った。
「その女の姿で『おれ』『おれ』と言うのはなんだかへんな感じだな。早く元の姿に戻らないか?」
セレスは空を仰いだ。
「そうだね。アシュアとジェニファが呼んでる」
「ぼくも帰らないと。本体は地球にいるんだ」
カインは立ち上がった。
「どうやって帰るの?」
セレスはびっくりして言った。
「大丈夫。もうぼくたちは元の世界に戻ろうとしてる」
カインはセレスの足を指差した。セレスが目を向けると、下から少しずつ空中に溶けていっているところだった。
「カイン」
セレスは言った。
「おれ、女なの? 男だよね?」
カインは笑みを見せた。
「たぶん…… 今はまだケイナを守らないといけないから男なんだよ。でも、きっといつか……」
カインは消えた。
セレスは目を閉じた。

「大丈夫?」
カインが目を開けると、女が心配そうな顔をして覗き込んでいるのが目に入った。
カインは額に濡らしたタオルが乗せられているのに気づいた。彼女はずっと看病をしていてくれたのだ。
「ええ……」
カインは少し笑みを見せた。女はほっとしたような顔をした。
「良かった…… 薬が合わなかったのかと心配したわ。 悪夢にうなされているような感じだったから……」
「ドラッグのせいか……」
カインはつぶやいた。地球とコリュボスに間の真空間を飛び越えて意識がケイナの中に入り込むなんて、普通ならできっこない……
「悪い夢じゃなかったの?」
女が怪訝そうに言った。
「え?」
カインは女を見た。彼女は肩をすくめた。
「だって、何だか表情が全然違うわよ。安心したような感じだわ」
カインは笑った。
「ええ…… 悪い夢じゃなかった」
カインは起き上がって左腕をさすった。包帯が新しいものに取り替えられている。
不思議と病院を抜け出したときよりも痛みが薄らいでいるような気がした。
「ほんの少しだけど麻酔薬があったから使ったわ。コリュボスに着くまではもつと思うけど」
カインの表情に気づいたのか、女は言った。
「立てる? そろそろエアポートに行かないと」
カインはうなずいて立ち上がった。

 セレスは身を起こしてあたりを見回した。
「セレス! 気がついたか!」
アシュアが嬉しそうに顔を覗き込んだ。
「一時はどうなるかと思ったわ」
ジェニファはそう言うとセレスの頭を抱き締めた。
セレスはしばらくぼんやりとしていたが、やがてジェニファの肩ごしに横たわるケイナを見つけて、彼女を押し退けるとケイナのそばに行った。
「大丈夫よ。術は解けてるんだけどしばらくは目覚められないと思うわ。術に逆らってあなたを助けようとしたのよ」
ジェニファはそれを見て言った。セレスは目を閉じたままのケイナの頬にそっと手を触れた。
「うん…… 知ってた」
彼は言った。そしてアシュアとジェニファを振り返った。
「ケイナだけじゃないよ。アシュアも、ジェニファも、カインも…… みんなでおれを助けてくれたよ」
「おれ?」
アシュアが目を丸くした。セレスは笑みを浮かべてうなずいた。
「アシュアの声が聞こえたよ。 ……あ、そうだ。水晶を返さないと……」
セレスは慌てて自分の手を見た。
「そうだ…… 砕けたんだっけ……」
「もう必要ないでしょ?」
ジェニファは笑って言った。セレスはうなずいた。
「それにしても、これからどうするかな……」
アシュアは眠ったままのケイナを見つめてつぶやいた。
「まさか、目覚めるまでここに寝かせておくわけにはいかないし……」
「これは提案なんだけど……」
ジェニファはためらいがちに言った。
「あなたたち、ノマドに行ったら?」
セレスとアシュアは目を丸くして彼女を見た。
「どうやって行くの? ノマドってあっちこっち移動してるんだろ?」
セレスは面喰らったように言った。
「ここはノマドの森なのよ。何年か前にふたつかみっつのコミュニティが地球からコリュボスに渡って来たって聞いたの。だからいるはずだわ。奥は結界がはってあるから普通の人間には辿りつけないんだけど、向こうは侵入者をちゃんと把握してる。ましてや術を使う者となるとなおさらよ。ここでやってたことは全部知ってると思うわ」
「じゃあ、おれたちが森の奥へ入って行ったらどこかでノマドに会えるってこと?」
セレスは尋ねた。ジェニファはうなずいた。
「たぶんね。向こうが受け入れてくれれば。きっとあなたたちにはそのほうが安全よ」
「もし、受け入れてくれなかったら?」
アシュアは目を細めた。
「いやでもまた森の入り口に戻ってくるわ。でも…… ケイナがいるから大丈夫よ。彼は昔ノマドにいた身だもの。それに、もしかしたらセレスもね」
「え?」
セレスはそれを聞いて再び目を丸くした。
「おれがノマド?」
ジェニファは笑った。
「ケイナに少し前に言ったのよ。詳しい話はできなかったけど、ノマドには緑色の髪と目を持つ人間がいたという言い伝えがあるの。ノマドの古いメンバーはだいたい知ってるわ」
「緑色の髪と目……」
セレスはつぶやいた。
「あんたたちはノマドに帰るべきなのよ。帰ればきっと教えてくれるわ。今ここでは全部を説明している時間もないでしょう」
ジェニファの言葉にセレスは戸惑い気味にうなずいた。
アシュアはケイナを抱き起こすと苦労して彼を背負った。
「とりあえず、ジェニファの言うとおりにしたほうがいい…… いったいどれくらい歩かないといけないのかな」
「さあ…… 1時間かもしれないし、1週間かも……」
「1週間も森の中を彷徨ったら死んじまうぜ」
アシュアは仰天して言った。ジェニファはくすくす笑った。
「冗談よ。ケイナの目が覚めれば思い出して自分で道を見つけるでしょうよ。もしかしたらセレスが見つけるかもしれないし」
セレスとアシュアは顔を見合わせた。
「とにかくどこか分からないけどほかにいい考えも浮かばねえ。行こう」
アシュアはセレスにそう言うとジェニファに向き直った。
「ジェニファ、いろいろありがとう。あんたにも危ない橋を渡らせてしまった」
「気にしないで。夢がいい方向に向かってるからほっとしてるのよ」
ジェニファは笑みを見せた。その顔をしばらく見つめたセレスはためらいがちにジェニファに言った。
「ジェニファ、あなたはどうしてノマドから離れたの?」
ジェニファの顔が一瞬暗い翳りを見せた。彼女はあまり言いたくなさそうだったが、口を開いた。
「子供ができたのよ。中央塔に勤める若い男の。もう30年も前の話だわ」
「子供…… その人は……」
「もういないわ」
セレスの言葉を遮るようにしてジェニファは言った。
「子供も男も病気で死んだ。私は自分からノマドを出て行ったからもう戻らないの」
セレスは目を臥せるとうなずいた。
「幸運を祈ってるわ」
ジェニファは言った。
ふたりは森の奥へと足を踏み出した。