18-6 海

 画面の中のアルは少し緊張した面もちだった。
『この留守録に気づいてくれるといいんだけど……。いや、それよりもきみがぼくと同じことを考えてそこにいてくれるといいんだけど……』
アシュアとケイナは顔を見合わせた。セレスは画面を食い入るように見つめた。
『今ね、午後1時30分なんだ。昼食の休憩の間にこっそり入れてるんだ。あ、うん、分かってるよ』
アルは隣に誰かいるらしく、腕を突かれて慌ててうなずいた。
『このことはトニが思いついたんだ。この通信機、ぼくがこっそり家から持ち込んだものだ。おもちゃみたいなもんだからあんまりもたない。手短に言うよ。セレス、今ラインの中、変な真っ黒な服着た兵士でいっぱいなんだ。朝食ン時からダイニングにも一杯いるんだよ。ロウライン生がみんな不安がっちゃって。朝食のあと、ぼく、その中のひとりに呼ばれたんだ。セレスのこといろいろ聞かれた。きみがよく行く場所とかいろいろ聞かれた。どうしてかって聞いたらケイナとゆうべ抜け出したって言ったからびっくりしたんだ。だからってなんでこんなに見たこともない兵士がごまんといるのか分からない。とにかくきみを連れ戻すって言うんだ』
アルは服の袖で額を拭った。
『ああ、長くなっちゃうな…… ええとね、トニがブロード教官に食らいついて聞いてくれたんだよ。ブロード教官、だいぶん抵抗したらしいんだ。だけどリィ・カンパニーと政府の圧力で歯がたたないって。所長がこんなやつら入れちゃってて、変に殺気だってる兵士じゃない奴もいて腑に落ちないって。そしたらさっきまでものすごいドタバタがあって、ゲートが破られたって聞いたんだ。もう大騒ぎだよ。だってゲートを破ったのがきみたちだって言うんだもの。全然様子見に行けないんだけど、きみがやましいことで逃げなきゃならないはずがないってぼくらは信じてるんだ。あいつら変だもの。それで、うまくあいつらから逃げたとき、きみがどこに行くだろうかってトニと話ししたんだ。もしかしたらコテージのことを覚えててくれて、そこに逃げてくれるといいな、と思ったんだ』
「アル……」
セレスはつぶやいた。こんなに心配してくれているなんて、少しも考えなかった……。
『ぼくら、まだ同じこと考えてるよね? セレス、そこは安全だよ。ぼくは誰にも言ってない。セキュリティあるけど、ケイナがいるんなら大丈夫だってトニは言ってる。ケイナは頭がいいから何でもできるって。2階の奥がぼくの寝室なんだ。そこにちょっとだけだけど、クローゼットにおこづかいが入ってる。クローゼットの奥が隠し金庫になってるんだ。探してみて。足らなければ一緒に入ってるキャッシュカードを使ってもいいよ。それから手前の寝室のクローゼットにも父さんがお金を金庫に隠してる』
画面の向こうのアルは緊張のあまり顔を真っ赤にして汗を流していた。
『地下の貯蔵庫に水と少しだけ保存食がある。あと、裏の倉庫にプラニカが一台入ってる。 キイは父さんの寝室のクローゼットの引き出しだ。使っていいよ。気にしなくていいから。 どうぜ使わないでさびちゃうやつなんだ。それから、ええと、ええと……』
業を煮やしたのか、いきなりアルを押し退けてトニの姿が画面に映った。
『セレス! 何があったのか分からないけど、無事でいてくれよな! あのね、さっき聞いたんだけど、どさくさの中でユージー・カートまでいなくなっちゃったんだ! もうどうなってんのか分からないよ。滅茶苦茶だ』
アシュアは呆然とした。暗示が発動した……?!
それ以外に考えようがなかった。
再びアルが画面に入ってきた。
『なんでもいいからさ、落ち着いたら連絡してよ。頼むよ。この通信機のアクセスナンバーそっちに送っておくからさ! 頼むよ! それと……』
そこで画面がぷつりと切れた。セレスは何も映らなくなった画面の前から動くことができなかった。
アルとトニの気持ちに胸が痛んだ。
ぼくら、まだ同じことを考えてるよね?
うん、アル。そうだね。
でも、おれ、おまえのことちゃんと考えてなかったよ。
アル、ごめん……。
「セレス……」
ケイナが静かに言った。
「どんなにここが安全でも数時間が限界だ……」
「うん。分かってる」
セレスはうなずいて袖で目をこすった。
時間はそんなにない。これからのことを考えなければいけない。
アシュアは黙って目を伏せた。

 3人はアルの厚意に甘えて地下の貯蔵庫からミネラルウォーターと固形の保存食を持ってくるとリビングに集まった。彼らは朝から何も食べていなかった。
「ケイナはいつもミネラルウォーターをたくさん飲むけど、何か理由があるの?」
セレスはまっさきにミネラルウォーターのボトルに手を伸ばすケイナを見て尋ねた。
ケイナはちょっと困ったような顔をした。
「そういえば『ライン』でも家でもしょっちゅう飲んでたな」
アシュアがさっそく小さなスティッククッキーのような保存食をほおばりながら言った。
「ミネラルウォーターが好きだっていうわけじゃないんだ…… なんていうか…… たえず咽が乾いているような気がして……」
アシュアとセレスは顔を見合わせた。
「なんか…… 小さい頃からずっとだな……」
ケイナはボトルに口をつけて一口飲んだ。
「それより、これからどうするか考えよう」
「おれ…… 兄さんに連絡をとってみたい。ケヴィン叔父さんにも」
すかさずセレスは言った。
「信じられないんだ。兄さんがあんな書類にサインするなんて、信じられないんだ」
「クレイ指揮官に連絡を取るのは難しいよ」
アシュアはためらいがちに答えた。セレスは口をつぐんで黙り込んだ。
「今のこの状態のことは彼の耳にもとっくに入ってるだろうし、おれたちからコンタクトがあれば報告するように言われている可能性は高いんだ」
もっとも、彼が本当に自らの意思で誓約書にサインをしたという前提での話だが。
さすがにそれは口に出せなかった。
自分の意思でなければ、クレイ指揮官は最悪の場合この世にはいないかもしれない。
そんなことはとてもセレスには言えない。
ケイナは窓の外に目をやった。外は嘘のように静かだ。こんな状態でなければ昼寝でもしたいようなくらいののどかな風景が広がっている。
「カインは大丈夫かな……」
セレスは落胆したような様子でつぶやいた。
「腕を斬り付けられただけだから、命に別状はないだろう。それにあいつはリィの後継者だ。今頃手厚く治療されているさ。ただ……」
「ただ?」
セレスはアシュアの顔を見た。
「……いや」
アシュアは口をつぐんだ。
「今さら何を隠したってしようがないだろ」
ケイナがミネラルウォーターのボトルを見つめながらつぶやいた。
「おれ、もう全部知ってるよ」
セレスは肩をすくめた。
「ゆうべ…… ユージーが教えてくれたんだ……」
「ユージーが?」
ケイナが目を細めた。
「うん…… たまたまダイニングで会ったんだ ……やっぱりユージーはケイナのこと憎んでなんかないよ。これまで、ケイナを危ない目に遭わさないようにバッガスたちを見張ってたんだ」
セレスは保存食の箱を持ったまま開けようともせずに箱を見つめて言った。
「ケイナはそのこと知ってたんじゃないの?」
セレスが対面に座っているケイナの顔を見上げると、ケイナはその視線から逃れるように顔を背けた。
「ユージーは自分に怒ってた。ケイナひとりを救えない自分がこれからいろんな人を守る立場にならなきゃいけないって言ってた」
セレスは息を吐いた。
「ケイナ、ユージーにちゃんと会ったことある?」
「…………」
背けたままのケイナの表情が険しくなった。
「カリキュラムは違うかもしれないけれど、ユージーは『ライン』にいるのにケイナと顔を合わせたことがないって言うんだ。ケイナもユージーに会ってないんじゃないの? ふたりが顔を合わせてればこれまでみたいなことないよね? ふたりとも仲が良かったんだろ? ユージーは小さい頃のケイナの記憶、とても大切にしてたよ」
ケイナは無言だった。アシュアも黙って自分の手元を見つめている。
「ずっとおかしいって思ってたんだ…… 一番最初っから…… そう、『ライン』に入ってケイナとユージーのこと聞いたときも、なんか違うって思ってた。トニがいろいろ教えてくれたけど、おれたち、なんか違うこと見てるかもしれないって思った……」
アシュアはぞっとした。あのカインでさえ暗示にかかっていたのに、こいつはかからなかったんだ……
そりゃあ、暴走したケイナは焦っただろう。こいつを邪魔に思うはずだ。セレスには何も通じないのだから。