16-3 逃亡

「ケイナは?」
部屋には入ってきたアシュアにカインは言った。
「うん…… 今日はとりあえず普通にカリキュラムこなして部屋に戻った」
アシュアは疲れたような顔をして座り込んだ。
「何か分かったか?」
アシュアはデスクに向かうカインに言った。
「ジェニファはどうもアパートに専用の回線を持っていないようなんだ」
カインは振り向いて答えた。
「彼女は外の人間とのコンタクトは取らないんだろうな。ノマド出身だし…… ただ、念のため調べてみたら、やっぱり最近一度だけケイナに直接連絡してきていたよ。ただ、発信元はアパートじゃない。どこかで借りたんだろう」
「ジェニファが『ライン』に?」
アシュアは目を丸くした。カインはうなずいた。
「物騒なことをケイナに言ってるよ」
カインが手招きしたので、アシュアは気乗りのしない様子で立ち上がり、カインに近づいた。
カインはキイボードを押した。ジェニファの声が聞こえてきた。
『そこを出たほうがいいと思うの。命の危険があるんじゃないかしら』
『ケイナ、あなたの体は何か大きな爆弾を抱えてるわ。あなたはいずれそのために死んでしまう運命だった。……あの子はあなたを助けてくれる。あの子はあなたの剣となり盾となってあなたの力になると思うわ。だからふたりでいつも一緒にいなければならないの』
「問題はこのあと」
カインはつぶやいた。
『ケイナ、ノマドには緑色の髪と緑色の目を持つ者がいたのよ』
『それじゃあ、遅すぎるわ! ケイナ、ノマドに帰って!』
「ノマドに帰ってって……」
アシュアは戸惑った表情になった。
「ノマドに戻ればケイナは助かるのか?」
「分からない……  でもケイナはノマドにいたんだ。ケイナの両親はケイナをノマドに託したたあと死亡しているんだろう? もしかしたら、ノマドにケイナを託すことが彼を助けることになるのだと知っていたのかもしれない」
「でも、なんで、ノマドなんだ?」
「分からないよ……」
カインは頬杖をついた。
「でも、緑色の髪と目の人間がかつてはノマドにいた。そのことがケイナと何か関係があるんだろう」
「セレスの髪と目は……」
「うん…… それも」
カインはため息をついた。
「ジェニファにこっちから連絡とれないんだったら、会いにいくしかない」
アシュアは厭な予感がして顔をしかめた。その顔をカインは見つめて言った。
「明日一日でラインのゲートのパスワードを読んでおく。夜になったらここを抜けだせ」
「お、おまえが行ったほうがいいんじゃないのか?」
アシュアは唸った。
「朝までに戻って来るんだ。そのときに内側からまたゲートを開けるのはぼくしかいないだろう」
アシュアは顔をしかめて渋々うなずいた。
「やってみるよ」
彼は答えた。
「ジェニファはいい人だと思うけど、なんか苦手なんだよな……」
カインはじろりとアシュアを見た。
「分かったよ。行くよ」
アシュアは答えた。

 ケイナはもう部屋に戻って眠っただろうか。
セレスは自分の部屋でじっと考え込んでいた。
ユージーの言葉を何度も何度も頭の中で反芻した。
ユージーはケイナを憎んでなんかいない。むしろケイナを助けたかがっていた。
本当にそうなんだろうか。
ケイナは18歳になったらホライズンに行く。リィ・カンパニーとそういう契約が交わされている。
仮死保存だなんて……
どうして?
ロウラインの部屋なら、すぐ横にケイナがいたのに、ハイラインにあがったほうがケイナの距離が遠い……。
セレスはくちびるを噛み締めた。
ケイナ、教えてよ。あんたは本当に18歳になったらいなくなるの?
カインとアシュアはあんたを見張ってたの? あんたの人生って、じゃあ、なんなんだよ。
セレスはがたりと立ち上がった。
「おれ、絶対納得できない」
誰に一番聞きやすいかと考えたとき、セレスの頭に浮かんだのはアシュアだった。
アシュアに聞こう。アシュアならきっと教えてくれる。真正面から聞いたら、彼はきっと逃げない。
部屋を出て隣のアシュアのドアに向かったとき、セレスはそのすぐ向こうに人影を見つけてぎょっとした。
部屋をひとつ置いてその隣はケイナの部屋だった。ケイナは今まさに自分の部屋に入ろうとしているところだったのだ。
「なにやってんだ」
彼は怪訝な顔をしてセレスを見た。
「あ、えと……」
セレスはくちごもった。
「あ、あの…… 講議に必要な資料が……」
言ってしまってからセレスは顔をしかめた。おれって……なんてバカなんだ……
ケイナはうんざりしたように髪をかきあげ、そして手招きした。
「はいんな」
セレスはうなだれてしかたなくケイナの言葉に従った。
「顎はどうだ」
ケイナは持っていたタオルをベッドに放り投げて振り向かずに言った。
「うん……」
セレスは目を伏せた。
「やっぱり一週間は訓練だめだって」
「そうか」
「ケイナ…… ごめんよ。おれ、全然だらしなくって。あんたをまたあっちの世界に行きかけさせた」
ケイナはしばらく黙っていたが、セレスを振り返ると近づいて来た。
「行ってないよ。もう、暴走はしない」
「…………」
セレスはケイナの顔を見上げ、そしてまた目を伏せた。
ケイナはセレスをしばらく見つめたあと再び口を開いた。
「おまえ、謹慎処分受けるのが怖いか?」
「え?」
セレスは思わずケイナを見た。
「謹慎じゃすまないかな…… でも、まあ除籍にはならないかも」
ケイナはかすかに笑っていた。
「何をするの?」
「おれについてくる?」
「何をするの?」
再び尋ねたが、ケイナはそれには答えずデスクの上からエアバイクのキイを取り上げた。
「まさか」
セレスは仰天した。
「どっちでもいいよ」
ケイナは言った。
「あんたにつき合うよ」
セレスは慌てて答えた。

 ケイナは廊下を突っ切ってラインのゲートに向かった。
セレスはびくびくしながらそれに続いた。
『ライン』を脱走する?
でも、ケイナと一緒なら怖くない。そんな気持ちもあった。
「今日の当直担当はホッジスなんだ」
ケイナは言った。
ゲートは中からは許可がなければ開かない。おまけに監視カメラがついている。
「ホッジスはいつも午前12時45分になると席を立つ。たぶん腹がすくんだろう。戻ってくるのが50分だ。その間にセキュリティコードを破って出る」
セレスは驚いてケイナを見た。
「どうしてそんなことを知っているの?」
ケイナはセレスをちらりと見てかすかに笑った。
「何度も脱走しようと思ったからだよ」
「え?」
セレスは呆気にとられたが、それ以上ケイナは何も言わずにセレスについてくるように顎をしゃくった。12時45分になったからだ。
ケイナはホッジスのいた監視室に身を滑り込ませると、手馴れた様子でコンピューターのキイを操作した。
1分ほどで出てくると、セレスに走るように目配せし、ふたりはゲートを走り抜けた。
「ホッジスが戻ってきたらすぐにバレるよ」
セレスは大急ぎでケイナとともにエレベーターに駆け込むと言った。
「バレないよ」
ケイナは答えた。
「おれたちが出たら再び閉まるようにセットしてきた」
「なんでセキュリティコードを知っていたんだ?」
ケイナは髪をかけあげてシースルーになっているエレベーターの外の風景を眺めていたが、セレスをちらりと見て再び外に目を向けた。
「キイボード見ただけで分かることがあるんだ。おまえもそうだろ?」
「分かるわけないだろ」
セレスは口を尖らせてケイナを見た。ケイナは可笑しそうにくすくす笑った。
「ケイナ……」
しばらくしてセレスは言った。ケイナの青い目がこちらを向いた。
「どうして何も聞かないの?」
ケイナはすぐに目をそらせた。長いまつげが夜のライトの中で光っている。彼はしばらくしてから言った。
「何を聞くってんだ……」
「…………」
セレスは黙ってケイナの視線の先を追った。エアポートにちょうど船が停船するところだった。
「自由にいろんなところに行けたらいいな……」
ケイナはぽつりとつぶやいた。
エレベーターが最下階に着き、ふたりは静まり返ったエントランスを抜けて駐車場に向かった。
ケイナはポケットを探ってエアバイクのキイを出した。
「乗れよ」
ケイナは前座席にまたがると自分の後ろに顎をしゃくった。セレスはそれに従った。
エアバイクは勢いよく駐車場を滑り出すとふわりと上昇し、西に向かった。
「どこへ行くの?」
セレスは尋ねた。
「湖」
ケイナは答えた。
「湖?」
セレスは目を丸くした。
「おれのアパートよりもまだ西に行ったところに人工だけど湖が作られてるんだ。おまえ、行ったことないのか?」
「ないよ」
セレスはそう言ったが、ケイナはそれ以上何も言わなかった。