16-2 逃亡

「カリキュラムが違うからって4年も一度も顔を見たことのない人間がいるなんて、この狭い『ライン』の中で起こりうると思うか? あいつは毎晩自己トレーニングでトレーニング室に行っているはずだが、おれもほとんど毎晩行っているんだぞ。それでも会わないということが考えられるか?」
セレスは黙ってユージーを見つめた。ユージーは肩をすくめ、顔をそらせた。
「おれはあいつのことをほとんど知らないのに、しょっちゅうあいつがケガをしたって話が耳に入ってくる。それで、おれがあいつを陥れようとしたってことになってる。おれが会わないのになんでバッガスたちはケイナの顔を見る? おれはおまえに会うのに、おまえが顔を見るケイナをどうしておれは見ることができない?」
「あんたの言ってることが分からないよ……」
セレスは困惑して言った。ユージーはかすかに笑った。
「おれだって分からない ……まあ、もういいさ。おれは早くここを出なければならない。父の跡を継がないといけないからだ。親類中がうるさい。生まれたときから定められた道ほどうっとうしいことはないが、もうこれはおれの運命だ」
ユージーはセレスを見た。
「おまえはあいつに好かれているという話を聞いた。あいつの時間は残り少ない。できるだけそばにいてやれ。おれももうおまえやケイナにちょっかいかけないように今以上にあいつらを見張っておくから」
「時間が少ない?」
セレスは目を細めた。
「なんだ、それ……」
「知らないのか……?」
ユージーは顔をしかめた。
「ケイナはとっくにおまえには言っていると思った……」
「いったいなんのこと……」
セレスは不安で心臓が激しく鼓動を打つのを感じながらセレスはユージーを見つめた。
そういえば、前にケイナはそんなことを匂わせることを言った。あのときは詳しく聞くことはできなかった。
「教えて。ケイナはどこかに行くの?」
ユージーはしばらくためらっているような様子だったが、しばらくして口を開いた。
「ケイナはここを修了したら…… ホライズン研究所に入ることになっている」
「ホライズン…… 研究所……?」
セレスはつぶやいた。
「リィ・カンパニーの研究所だ。ケイナは小さい頃からそこでずっといろんなことを調べられていた。最初は14歳であそこに行くはずだった。でも、おやじはあいつの才能が惜しくて『ライン』に入れることを決め、頑固にそれを押し通した。結果、契約は18歳まで伸びたんだ。だが、それ以上はもう伸ばせない…… これ以上契約を変更するとカンパニーは経済や技術支援をストップすると言ってくるだろう。ケイナが抵抗すればよってたかって強制連行だ」
ユージーは手に持ったフォークを見つめて言った。
「ケイナは…… ホライズン研究所に入って何をするんだ?」
沸き起こる不安を感じながらセレスはユージーを凝視していた。ユージーはちらりとセレスを見て目を反らせた。
「何もしない」
「何もしない?」
「そう。何もしない。何もできない、とも言うな。あいつは被実験体として仮死保存される」
「嘘だ……」
セレスは思わず立ち上がった。テーブルの上の皿が音を立て、フォークが床に落ちた。
「仮死保存て…… だって、ケイナは…… 人間だぞ!」
「おれだってそう思ったよ!」
ユージーは怒ったような口調で答えた。
「おやじをなじったこともあった。おやじがあいつを引き取ったとき、あいつは7歳くらいだったと思う。あいつはおれと全く正反対の性格で、小さい頃はよく笑った。弟ができておれは嬉しかったよ。だけど、あいつを引き取ることになったときには、すでにあいつのホライズン行きの話は決まっていたんだ。そんな人間の権利を無視した契約をなぜ結んだのかとおれはおやじに食ってかかったよ」
「ケイナは…… 最初からそのことを知っていたのか?」
「まさか」
ユージーは呆れたようにセレスを見た。
「そんなこと、本人に知らせるはずがない。ましてや子供の時期に。でも、あいつは頭がよかったからな。14歳でおやじがそのことを伝える頃にはもうとっくの昔に知っていたような顔をしていたらしい」
「…………」
セレスは混乱していた。
ユージーの話すことを本当に鵜のみにしていいのか? ユージーはただ自分を正当化させるためにこんなことを言っているだけじゃないのか? 信じてしまうとそれこそ彼の思うつぼではないのか?
「ケイナの契約破棄についていろいろと考えてみた。だけど、どうしようもないことが分かった。どこかにケイナを逃がしてやっても必ず連れ戻されるだろう。そればかりじゃない。下手をするとカート一族は断絶するし、軍事機密にも関わってくる。リィ・カンパニーはあまりにも軍事内情に入り込み過ぎている」
ユージーは肩をすくめた。
「だいたいリィの御曹子にじきじきに見張らせてるんだ。やることは全部筒抜けだ」
「リィの御曹子? 誰が?」
セレスは戸惑いながら言った。ユージーは疑わしそうな目をこちらに向けた。
「おまえは本当に何も知らないのか?」
セレスは激しく首を振った。
「何のことだか分からないよ」
「カインとアシュアは普通の訓練生じゃねえよ」
ユージーは吐き捨てるように言った。
セレスはドキリとした。カインとアシュアは普通の訓練生じゃない……。真っ向から反論できない部分がセレスにもあった。
「おまえくらい勘の鋭いやつなら分かるだろう。あいつらはカンパニーが派遣したガードだ。『ライン』の訓練なんかとっくに終了してる特別訓練を受けた兵士だよ。カイン・リィはリィの息子だぞ。名前を見て気づかなかったのか?」
「…………」
セレスはユージーから目をそらせた。
気づいていながらあえて知らないフリをしていた部分を全部露呈されたような気分だった。
怖い、と思った。できればユージーの前から逃げ出したかった。
しかしできなかった。
「カインもアシュアもケイナの友人だよ。見張るとかそんなんじゃないよ……」
セレスは言った。半ば自分に言い聞かせるような感じだった。
ユージーは冷ややかにセレスを見つめた。
「カインがリィの御曹子で、本当にケイナの友人であるなら、ケイナを助けることができるのは彼しかいない。次期主導権を持つのは彼だ。彼が本当に友人としてケイナを助けようとしているんなら、おまえもそれに加勢しろ。あの男がそんなことをするとは思えないけどな」
心臓が激しく動悸を打っていた。
セレスは首を振りながらユージーを見た。
「ユージー…… おれはあんたが分からない…… あんたの言うことを そのまんま信用する気になんか…… とてもなれない。あんたはどうしてそんなことを言うんだ?」
「どうして?」
ユージーはセレスの言葉を反芻して笑った。
「助けられるんならおれがやってる。あいつは血が繋がってなくても10年以上も一緒に暮らした弟だぞ」
そう言って、彼はセレスの顔を見据えた。
「おれの顔を見て兄さんと言って駆け寄って来たんだぞ。母はおれが生まれてすぐに死んだ。残ったのは押しつぶされそうなカートの家を継ぐという責任だけだ。ケイナは…… ケイナはおれのことを跡継ぎとか損得感情なしでおれに笑いかけた唯一の存在だ!」
セレスは言葉を失った。ユージーは険しい顔で言い募った。
「おれがライン内で何を言われているかくらいは知っている。だがな、おれの評判は良かろうと悪かろうとそれは一切将来には響かない。カートの名前がある限り何も揺らがない。なら、いくらでもやってやるよ。バッガスひとり殺したっておれには何の咎めもないだろう。だったらその立場を利用してやるよ。だけどその立場のおかげでできないことがひとつある。それは、ケイナの人生の消滅を助けてやれないことだ!」
ユージーはトレイを持って立ち上がった。
「どうしてそのことずっと黙ってたんだ…… みんなあんたのことそんなふうに思ってないよ……」
セレスは険しい顔のユージーを見て言った。
「ふざけんな」
ユージーは答えた。
「ケイナとおれのことを分かろうとする人間がいったいどこにいた! おまえもそうじゃなかったのか! 名誉だ地位だ財産だ、みんな色眼鏡で見やがって…… たったひとりの人間も救えないのに、おれは将来人を守る立場につくんだ。くそくらえ!」
ユージーはそう言うとトレイを洗い場の差し出し口に放り込んで食堂から出て行った。
セレスは呆然としてそれを見送った。