14-4 疑念

 セレスはまるでひんやりとした霧の中に漂っているような感触を味わっていた.。
あたりは暗かったが、空中を漂っている感覚がこのうえなく心地よかった。
ふと、人の気配を感じて頭をめぐらせた。遠くに誰かが立っている。
セレスは引きつけられるようにその陰のほうへ浮遊していった。
後ろ姿はひょろりと背が高く、真っ黒な髪をしている。
(ユージー…?)
セレスは思った。
この後ろ姿はユージー・カートだ。今度は分かる。
これは前に見た夢と同じだ。自分はまた同じ夢を見ているんだ。
ユージーはゆっくりとした足取りで、スローモーションのように歩いていた。
セレスはユージーの頭のすぐ後ろをふわふわと浮遊しているようにしてあとをついていった。
やがてユージーはひとつの部屋の前で立ち止まった。見慣れたトレーニング室のドアが見える。
ユージーはロボットじみた動きでその中に入っていった。
セレスも浮遊するようにしてそれに続いた。部屋のすみのマシンの中で誰かが腕を動かしている。
(ケイナ……)
ユージーの肩ごしに、セレスはケイナの姿を見た。
「これで最後だから」
ユージーがつぶやくのが聞こえた。低いかすれた声だった。
(このあと……)
セレスは戦慄した。このあと彼は……。
ユージーは手に持っていた銃を持ち上げ、その銃口をケイナにぴたりと合わせた。
セレスはユージーの背後から彼の腕を掴もうとした。しかし手は空しくユージーの腕を通り抜けてしまった。
触れない…… ユージーに触れないんだ……
「ケイナ! 逃げろ!」
声を限りに叫んだ。
「ケイナ! 逃げて!!」
はっとして目を開けた。
目を開けたと同時に飛び起きていた。
すぐ近くに誰かがいた。それがケイナだと分かった時、セレスは泣き出したくなるような安堵感に襲われた。
「びっくりした……」
セレスはつぶやいた。
「それはこっちのセリフだぜ。急に起きて大丈夫か?」
ケイナはベッドの脇の椅子に腰を降ろして言った。セレスはケイナを見た。
戸惑っているような表情を浮かべている。
ケイナだ。
間違いなくケイナだ…… 生きているケイナだ。
「良かった、ケイナ…… また会えた……」
セレスは自分で意識しないうちにケイナの首に両手を巻きつけて彼に抱きついていた。
仰天したのはケイナだ。いきなり抱きつかれて次にどうするべきか咄嗟に頭が働かなくなってしまったように体を強ばらせた。
「もう会えないかと思ったんだ……!」
セレスはさらにケイナを抱き締めた。
ケイナは困惑していたが、やがてセレスを落ち着かせるようにためらいがちにその背を軽く叩いた。
「ちょっと…… 離れろ。おまえの手に点滴の針が刺さったまんまなんだ」
セレスははっとしてケイナから離れた。彼に抱きつくなんて、なんて子供じみたことをしてしまったのかと後悔した。
「ご、ごめん」
慌てて謝るセレスを見て、ケイナは強ばったままの笑みを浮かべた。
「針を抜くから横になって。生身の人間から注射針抜くのは初めてだから、ちょっと痛いかもしれないけど」
セレスは言われたままに横になった。ケイナは慣れない手つきでセレスの左手の甲に固定してあった注射針を抜いた。
「2日間眠りっぱなしだった。傷のせいというよりも、疲労の極致だったみたいだな。 目が覚めたら針を抜くようにドクターから言われていた」
ケイナは点滴のチューブをまとめながら言った。
「2日も?」
セレスはびっくりした。そんなに長く眠っていたなんて思いもしなかった。
「ドラッグにやられたすぐあとだったんだ。しかたない。あとでメシを持ってくるから食えよ」
ケイナの言葉を聞きながら、セレスは顔を巡らせてあたりを見回した。
見なれない部屋だ。ロウラインの部屋の半分くらいの広さがある。
床は青い絨毯が敷き詰めてあり、壁際にクローゼットとデスクが並んでいた。
小さなソファとテーブルまである。ベッドも前のものより格段に広い。
「ここはハイラインのおまえの部屋だよ。入院する必要もないからと治療のあとにここに運ばれた。覚えてないか?」
ケイナは点滴の器具を壁際の机の上に置いて言った。セレスはかぶりを振った。
アシュアにジュディの薬のことを頼んだあとの記憶は一切なかった。
窓の外を見ると薄暗かった。明け方なのか、夕暮れなのか……。
「今、午前五時前」
セレスの心を見透かしたようにケイナが言った。
「五時……」
セレスはつぶやいた。
「ケイナ…… ずっとここに?」
「まさか」
ケイナは冗談じゃない、という顔で言い、椅子に腰をおろした。
「2日間アシュアと交代で来てた。面倒かけてくれるぜ」
セレスは目を伏せた。そんなセレスにケイナは少し怒っているような口調で言った。
「ジュディの殺気なんか察知できただろうに、なんで刺されたりした?」
「ハイラインの合格を聞いた直後だったから……。有頂天になってて分からなかったんだ」
セレスは答えた。
「ケイナ…… ジュディは?」
ケイナは肩をすくめた。
「病院に収容された。薬をやってることはばれた。たぶんラインの復帰はないだろうな」
「アシュアに彼の持ってる薬を処分して欲しいって頼んだんだ……」
セレスはためらいがちに言った。ケイナはうなずいて髪をかきあげた。
「全部トイレに流したと言ってた」
それを聞いてセレスは安堵の息を漏らした。
「ジュディが薬を持っていたのかどうか、教官に質問されるぞ。アシュアは知らないって言ったらしいけど」
「おれも言わないと思う」
セレスはそう答えてケイナを見た。
「ジュディを検査すればすぐに分かることだと思うけど…… モノはないからルートもばれないと思うし」
「なんで……」
ケイナは眉を吊り上げた。
彼が次の言葉を言おうとする前にセレスはそれを遮った。
「ケイナ…… TA601…… シートにそう書かれてた。それがどんな薬かは分からないけど、 アーモンドタルトの甘い匂いがするんだ。ジュディはずっと前からその匂いがしてたらしいんだ」
「余計なことに首を突っ込むのはやめろ。薬の出どころを調べるのはおまえの役目じゃない」
ケイナが険しい目で言った。セレスが口を開こうとすると、ドアが開いてアシュアが入ってきた。
「おう! 目が覚めたか!」
アシュアは笑ってベッドに近づいて来た。
「ゆっくり眠って気分爽快だろう」
「アシュア、ありがとう」
セレスは言った。アシュアは肩をすくめてにっと笑った。
「別に礼を言われるようなことは何もしてねえけど、どうしてもって言うならあとでたっぷり返してもらうぜ」
そしてケイナを見た。
「メシ食ってこいよ。そのあとのカリキュラムは二時間遅れだと。ちょっと眠るんだな」
ケイナはうなずいて立ち上がった。そしてちらりとセレスを見ると部屋を出ていった。