14-2 疑念

 セレスは午前八時に試験会場である講議室に行った。
学科の試験はほかの軍課の生徒たちと一緒だ。
学科だけは必須時間が誰でも決まっているので、これは単なる半年間の総試験になる。
飛び級査定に入るのは実技のみで、実技がどれだけ早く進むかで修了年数が変わってくる。
ケイナは来年でもう修了するか否かが決定するはずだ。
セレスはここでハイラインに上がらなければ、来年という選択肢はない。そのときにはもう『ライン』にケイナはいないかもしれないのだ。
 机上学習は昔からセレスは苦手だった。しかし、毎日嫌でも勉強しなければならない状態に追い込まれていたから、何とか合格点はもらえるだろうと思うだけの結果に終わった。
問題は午後の実技試験だった。
「セレス、頑張れよ」
学科試験が終わったあと、講議室から出るセレスの後ろからトリルがそう言って追いこして行った。
飛び級を受けないトリルやジュディはセレスとは別室の試験になる。
セレスはトリルにちょっと笑って手をあげた。トリルは笑みを浮かべて手を振り返してきた。
トリルはことなかれ主義のタイプだったが、気の優しい少年だった。
ジュディと同じグループで実技を受ける毎日で、彼が一緒だったことは今となってはセレスにとって救いだった。
 午後の試験の前に昼食を取らなければならなかったが、たぶん食事が咽を通らないだろうと思ったので、デザートに出されていたリンゴをひとつと、プロテイン入りのドリンクをダイニングから持ち出した。
同じように緊張状態にさらされている生徒たちのいるダイニングにいるよりは、部屋にひとりでいたほうが落ち着けると思ったのだ。
 部屋に入ってケイナのブースを覗くと、すでに片付けられて何もなかった。
見慣れた彼の分厚い本も机にうず高くいつも積まれていたデータディスクの山もない。
ミントの香りだけがかすかに残っていた。
セレスは自分のブースに入るとブーツの紐を点検しながらリンゴをかじり、リンゴを芯まで食べきると、とても美味しいとはいえないプロテイン飲料を一気に飲み干した。
それで充分に満たされた気分になった。
そして大きく伸びをすると、試験前に少し体を温めておくためにトレーニング室に行こうと思いついた。
午前中ずっと机に向かっていたので、肩のあたりが少しこわばったような気がしたのだ。
セレスは腰かけていたベッドから立ち上がり、ドアに向かった。
そしてそのドアをあけた途端に部屋に入ろうとしていた誰かと思いきりぶつかった。
ばさっと何かが床に落ちた。
ぶつかってぎょっとした顔を向けたのはジュディだった。セレスは面喰らって思わず後ずさりした。
床に落ちた白い紙包みが目に入った。それを見た途端、セレスはジュディが手を伸ばす前にいち早くそれを拾っていた。
紙包みの端からこぼれ出ていたのは錠剤の埋め込まれた銀色のシートだ。
赤くて丸い粒が一シートに十錠ずつ、それが数シートあった。
「ジュディ……!」
セレスはジュディの顔を険しい目で見た。
「返せ!」
ジュディは手を伸ばして薬をひったくろうとしたが、セレスはそれをかわした。ジュディの体からふわりとアーモンドタルトの匂いが鼻をかすめた。
「返せ……!」
ジュディは顔を真っ赤にして怒鳴った。
「なんだよ、この薬は……!」
セレスはジュディを問い詰めた。
「ビタミン剤だよ!」
ジュディは険しい口調で言った。
セレスは薬のシートに顔を近づけた。甘い匂いがした。アーモンドのような匂いだ。 TA601のマークがシートのひとつひとつに刻み込まれていた。
ジュディはものすごい力でセレスに体当たりすると、すばやく薬をひったくった。セレスはその勢いに大きな音をたてて床に倒れた。
「ただのビタミン剤なら、なんでそんなに躍起になるんだよ!」
セレスは立ち上がりながら言った。
ジュディはかすかに頬を震わせてセレスを睨みつけていたが、ふいに踵を返すと逃げるように走り去った。
「ジュディ……!」
セレスはドアに走り寄ったが、ジュディはロウラインの宿舎をすでに走り抜けていた。
TA601……
いや…… 忘れよう。
セレスはかぶりを振った。
今は忘れなきゃならない。
アーモンドタルトのにおいはまだ部屋に残っていた。

 午後の実技試験でセレスは大きな失敗をした。
射撃の訓練で飛んでくる皿を三つも撃ち落としそこねたのだ。これはきっと大きな失点になるだろう。
試験監督だったブロードは何も言わなかった。セレスの顔をちらりと見ただけだった。
それ以外の運動機能測定では申し分ない成績のはずだったから、セレスはこの失点が悔やみきれなかった。
もしかしたらダメかもしれない……。
大きな絶望感にとらわれながらセレスは部屋に戻った。
結果が出るまでの三時間、押しつぶされそうなこの気持ちと戦わなくてはならない。
部屋に入ってジュディのブースを見ると、彼はまだ戻っていなかった。忘れようと思っていたが、やはりどこかでジュディのことを考えていた。きっとそれが失点を招いたのだ。
ぐったりして自分のブースに入ると、トニが待ちかねていたように顔を覗かせた。
「セレス! どうだった?」
セレスはため息をついた。
「分からない…… ちょっとミスった……」
「ミス? でも、たいしたことないんだろう?」
トニは疲れ切ったようにベッドに腰を降ろすセレスに言った。
「大丈夫だよ。きっと合格するよ」
「うん……」
セレスは髪をかきあげた。
本当に疲れ切っていた。
緊張の度合いが大きかったので、試験が終わってどっと疲れがほとばしり出たような気分だった。
「それ、ケイナの癖だよ。なんだかきみ、ケイナに似てきたね」
トニがくすりと笑って言った。
「え?」
セレスは怪訝そうにトニを見あげた。トニは笑みを浮かべて肩をすくめた。
「髪をかきあげてから視線を下に落とすんだ。 ケイナがやるといつもぞくっとするような感じなんだけど、きみもけっこうサマになってるよ」
「つまんないこと言うなよ」
セレスはこっちの気も知らないで、と呆れ返って言った。
「ねえセレス」
トニはセレスのデスク用の椅子に腰を降ろした。
「きみはものすごく変わったよ。自分じゃ気づいていないかもしれないけど、ここに来たときとは全然違うよ。ぼくらはもうすぐ新入生を迎える。きみはもうすっかりハイライン生の風格を身につけてる。自信を持てよ。ケイナに似てるってことは、茶化してんじゃなくて、ぼくの最大の賛辞なんだよ」
セレスは目を伏せた。
「ぼくとアルも来年にはハイラインにあがるつもりだから、そうしたらまたトリオの復活だ。待っててくれよ」
トニは笑って言った。
「そういうのは本当に合格してから言ってくれよ」
セレスは苦笑して答えた。
「オーケイ。じゃあ、夕食の時間だ。しばらくちゃんと食べてないだろう。今夜はしっかり食べろよ。発表まであと二時間四十分もある。そのまえにダウンしちまうよ」
トニの言葉でセレスは初めて自分が空腹であることに気づいた。
うなずいて立ち上がると、トニはにっこりと笑ってみせた。

何だか居心地の悪い食事をダイニングでとったあと、セレスはトニよりも先に再び部屋に戻った。
ダイニングで会ったアルの話によると、軍科のみならずアルのいる科でもセレスのことは噂になっているということだった。
たえず視線を感じながらの食事を終えて早々に部屋に引き上げたのだ。
 通知まであと二時間。落ち着かなかった。
こんなときケイナがそばにいてくれたらどんなに心強いだろう。
部屋に入った時ジュディのブースを見たが、やはり彼はいなかった。
そういえばダイニングでも姿を見なかった。いったいどこに行ったのか……
セレスは気になったが、それ以上考えるのをやめた。
しばらくしてトニも戻ってきた。しかしセレスの気持ちを思ってか、黙って自分のブースに引っ込んでいった。
何も手につかなかった。時間がたつのが異様に遅く感じられた。
しかし、ベッドに横になったセレスは空腹が満たされたのと疲労でいつの間にかうとうととまどろんでいた。
夢うつつに妙に右腹に不快感を感じていた。痛いような熱いような感じだ。
きっと急にちゃんとした食事をとったから腹具合でも悪くなったのかもしれない……。
そんなことを眠りながら考えていた。
 しばらくしてデスクの上の通信音で飛び上がるように跳ね起きた。
まどろんでいる間に感じていた右腹の不快感はそのときにはきれいさっぱりなくなっていた。
向かいのブースでトニが緊張の面もちでこちらを見ている。
一気にアドレナリンが体中をかけめぐるのを感じながら、セレスは震える手で画面を教官室に繋いだ。
「セレス・クレイ?」
画面に映ったのはジェイク・ブロードだった。
「はい……」
セレスは掠れた声で答えた。とうとうこのときが来た。
「学科得点395点、実技総合572点」
ブロードは無表情にそう言ったあと、画面の向こうでひたとセレスを見据えた。
「おめでとう。合格だ」
一瞬血が下がり、それからかあっと顔に血が昇った。
「二時間以内にハイライン宿舎に移動するように。きみの部屋は262号室だ。移動が済んだら教官室に来たまえ。明日からのカリキュラムを説明する」
「はい」
震える声でセレスが答えると画面のブロードはかすかに笑みを浮かべた。初めて見るブロードの笑顔だった。
「実技は570点のボーダーぎりぎりだよ。危なかったな」
「はい……」
セレスはうなずいた。そしてブロードは画面から消えた。
「セレス!」
後ろからトニがまだ呆然としたままのセレスに飛びついてきた。
「やった! おめでとう!」
トニは興奮のあまり顔を真っ赤にして涙まで流していた。
「頑張れよ!」
トニはセレスをぎゅっと抱き締めた。セレスは何も言えずに目を閉じた。