13-6 壊れた心

 セレスはドクター・レイの薬を飲んで一日ベッドに横になっていたが、翌日には何事もなかったかのように元気になっていた。ただし、それは本人曰くのことであったが。
 二週間きちんと食事をしていなかったうえに、カリキュラムだけはこなしていたから体力の消耗は激しかった。起き上がろうと思っても頭がふらついた。
 ケイナはセレスがストレスで胃炎を起こしたのだとブロードに説明した。
ドクター・レイは機転をきかせてそれらしい診断書も薬と一緒に送ってきていたので、ブロードは腑に落ちない顔をしていたが、あえてそれ以上は問いただすまいと心に決めたらしかった。そして三日間だけセレスの静養を認めた。
「88ハーブという違法ドラッグだったんだ」
ケイナはセレスに説明した。もちろんトニやジュディがいない時だ。
カインとアシュアも時間を見計らって部屋に来ていた。
ハイライン生とロウライン生の講議時間のずれは三十分程度しかない。しかし、その時間ならロウライン生は絶対に宿舎棟には戻ってこないはずなのだ。
「経由先はおまえの歯ブラシだ」
ケイナの言葉にセレスは沈痛な面もちでうなずいた。
「薬物なんか使うとすぐにアシがつく。そういうことも知らずにいて使ったみたいだな」
アシュアが腕を組んで呆れたように言った。
「ケイナ…… やっぱり、ジュディだと思う?」
セレスはためらいがちに尋ねた。
「ほかにおまえの歯ブラシにドラッグ塗りたくる奴がどこにいるよ」
ケイナはいまいましげに言った。
「こっちはドラッグでダウンしたってことが言えない。今回は闇に葬るしかないな」
「おれが言いたいのはそっちじゃないんだ」
セレスは言った。
「ジュディも薬を使ってるかもしれないってことなんだ」
セレスの言葉にケイナは顔をそらせた。ジュディ自身がドラッグをやっていようがいまいが、どうでもよかった。
「おれに飲ませた量って生半可じゃなかったと思うよ。歯ブラシって食うわけじゃないんだし。口に含んだだけでこんなに症状が出るんだ。だけど、うまく使えばおれみたいに無茶苦茶にはならないんじゃないの」
「その推測は当ってるよ」
カインが代わりに答えた。ケイナはイライラした様子で髪をかきあげた。
「88ハーブは一種の興奮剤なんだ。抑鬱剤として医薬品認可されてた時期もある。食欲を減退させる作用があるから女性のダイエット薬として使用されてたこともあったそうだ。ごく微量に服用するぶんには日常生活に張りを持たせるメリットがあるくらいで短期的に副作用が出ることはない。だけど、容量を間違えたり長期に渡って服用すると中毒症状が出る。きみは二週間飲まされたわけだけど、大事に至らなくて良かった」
「じゃあ、ジュディが常用してる可能性はあるんだね」
セレスはカインに言った。カインは肩をすくめた。
「可能性はあるかもしれないけど、それは本人に問いただすか、目撃するしかないね」
「ケイナ、おれ、黙ってたんだけど休暇中にバッガスがドラッグを買ってるとこ見たんだ」
「え?」
ケイナは目を細めてセレスを見た。アシュアが「あ!」という顔をした。
「アシュアとケイナには言わずにおこうって約束してたんだ……。あんとき、何を買ってたのか分からなかったけど違法ドラッグだってことは確かなんだよ」
ケイナはじろりとアシュアを見たが、何も言わなかった。
アシュアは顔をゆがめて天井を仰いだ。
セレスのバカヤロウ。その顔はそう言っていた。
「バッガスは違法ドラッグに手を出してる。それがここで広まってたとしたら大変なことになるよ…… もしかしたらユージーはこのことを知らないんじゃないかな。いや、もしかしたら彼も使ってるかもしれない」
ケイナの目が険しさを増した。
「ユージーはそんな危険な橋を渡る人間じゃない」
セレスはきっぱりとそう言ったケイナの顔を見つめた。
「おれもそう思ってる。おれ、ユージー・カートに一度会ったことがあるんだ。彼、とてもいい人だった。そばにいたバッガスはいきりたってばっかりいる奴だったけど、ユージー・カートはちゃんとした人だったよ。でも、バッガスが余計なことをしたらユージーも影響を受けるんじゃないの?」
ケイナは黙ってセレスの言葉を聞いていたが、苦渋の表情を浮かべて顔をそらせた。
そしてセレスのベッドから離れると部屋を出ていってしまった。
セレスは困惑した顔をアシュアとカインに向けた。
「ケイナとユージーの関係はおれたちもよく分からないんだよ」
アシュアが言った。
「あいつがカート家に来たときからユージーはカートの跡取りとしてケイナと比べられる運命になった。そのことがユージーにものすごい圧力になったことは間違いない。だけどケイナの話じゃ跡取りは最初からユージーに決まっているようだし、ユージー自身もそんなことで逆恨みするような度量の狭いやつじゃない。つまりそんなことでケイナをいびり倒すとは思えないってことなんだよ」
「じゃ、ケイナにちょっかいかけてくるのはバッガスの一存なのかな……」
セレスはさっきのケイナの苦悩に満ちた顔を思い浮かべた。
「セレス」
ずっと黙っていたカインが口を開いた。
「悪いけどぼくたちはケイナを守るけど、自分からほかに手は出さないんだよ」
セレスはカインの言葉の意味を飲み込めず、怪訝な表情で彼を見た。
「ケイナとユージーの反目には関わらない。それがバッガスとユージーのことであってもだ。関係ないからな」
アシュアも腕を組んでパーティションにもたれながら冷静な声で言った。
「関係ない……」
セレスはつぶやいた。
「そんなものだったの……? ケイナは友人じゃないのか? ユージーはケイナのお兄さんだろ?」
「じゃ、おまえはハイラインにあがって何をしようと思ってるんだ?  あいつらにケンカでも売るのか? それとも和解させるためにあがってくるのか? ユージーに説教でもするつもりか?」
アシュアは言った。セレスは言葉に詰まった。
「セレス。アシュアが薬のことをケイナに言うなと言ったのは、ケイナに余計なことを知らせないというためだけじゃない」
カインは言った。
「それはケイナを守ることには直接関係がないからだ。ケイナを守ろうとすることが第一の望みなら、ケイナに直接害を及ぼすこと以外は関わるな。『ライン』で薬が蔓延していようと、ユージーかバッガスがそれを使っていようと、ケイナ自身が使っているわけではないんだから関係ないだろう。そんなことより早く自分の身を自分で守れるようにしろ」
「自分のことくらい自分でなんとかできるよ」
セレスはむっとして言った。言ってしまってから自分が今ベッドの上だということに気づいた。
「おまえな、休暇明けから今まで自分の力だけで過ごしてきたと思ってるのか?」
アシュアが不機嫌そうに言った。セレスはアシュアを睨んだ。
「おまえは休暇明けからびったりバッガスの一派に張られているんだぞ。あいつらが手を出さなかったのは、ケイナが注意してできるだけおまえの行動を見守っていたからだ」
アシュアはそこで肩をすくめた。
「それで、言いたかねえけど、おれたちもおまえのことを見てやってたからだよ。おまえが部屋から出て、部屋に戻るまでの間、ケイナと一緒におまえの周囲を警戒してたからだよ」
「そ……」
セレスの顔が紅潮した。
「そんなこと、おれ、頼んでないよ!」
「まだ分かんねえのかよ!」
アシュアは怒鳴った。セレスは口をつぐんだ。
「おまえは休暇の時に薬の売買の現場を見てる。おまけにケイナに何かと接近してる。なおかつ進級試験と同時に飛び級試験まで受けようとしてる。あいつらが警戒するのは当たり前だろうが! スキあればおまえを袋だたきどころか、もっとひどい目に遭わせようと舌なめずりしてんだよ!  いいか、ケイナを守るのに本当を言うとおまえの……」
カインが手をあげてアシュアを制した。このままでは余計なことまでアシュアが言ってしまうように思えたからだ。
「セレス」
カインは冷静な声で言った。
「きみを陥れるのに一番ぼくらとケイナの守りが手薄になるのは、きみがロウライン生たちだけの中にいる時だった。ジュディが自分からバッガスたちとコンタクトをとって薬を手に入れたのか、バッガスが誘惑したのか、それは分からないが、彼らがきみのことをライバル視しているジュディという人間を手に入れたことは彼らにとって幸運だっただろう」
セレスはふたりから顔をそらせて唇を噛み締めた。カインはそんなセレスを見ながら言葉を続けた。
「もし、きみの異常に気づくのがもっと遅かったら、きみは飛び級試験を受けられなかった。そうすればケイナは十日後にはこの部屋を出て、きみはあと半年間何が起こるか分からない状況にひとりで立ち向かっていかなくてはならなかった。その可能性は今も残っている」
セレスはまばたきをひとつするとカインを見あげた。カインはうなずいた。
「そうだ。きみは十日後の試験に合格して、必ずハイラインに上がってこなくてはならない」
「分かってるよ……」
セレスはシーツを握り締めて言った。
「最初からそのつもりだ」
カインとアシュアは無言でセレスを見つめた。