13-3 壊れた心

 セレスはジュディが自分の靴に細工をしたとは信じたくなかった。
ジュディは確かに鼻持ちならない奴だが、こんなことまではしない奴だと思っていたのだ。
それでもセレスはいつしかジュディの行動に警戒心を持つようになっていた。足や手を傷つけられることは一番避けなければならないことだったからだ。小さな傷が命とりになることもある。
「このごろ落ち着かないね、セレス」
夕食の時、セレスの姿を見つけて隣に座ったアルが言った。
「進級試験、そんなに大変そう?」
デスクスタディばかりのアルにはセレスの訓練は想像もつかなかった。体を動かすのだから勉強して知識を詰め込めばなんとかなるというものでもない。そういうことにはからっきし能力のないアルだった。
「試験はたぶん大丈夫だよ」
セレスはちょっと笑ってフォークを口に運んだ。ダイニングにジュディの姿はなかった。それが安心でもあるし、不安でもあった。
「でも、きみはハイラインへの飛び級試験も一緒に受けるんだろ? そこいらでものすごい評判になってるよ」
アルは心配そうに言った。
「そんなやつ、ここ何年も出てないんだって。どんな気分だい?」
「別に…… おれ、なにがなんでもハイラインに上がりたいんだ。ただそれだけだもの」
アルはセレスの横顔をしばらくじっと見つめた。
「セレス…… きみ、そんなにケイナのそばにいきたいの?」
アルは声には少しためらいがこもっていた。セレスは思わず顔をあげてアルを見た。
アルはその目から逃れるように顔を伏せて皿の上の肉片をフォークでつついた。
「そんなにケイナのことが大切なの?」
「どうしたんだよ、アル」
セレスは目を細めた。アルが何を言いたいのか分からなかった。
「きみはさ、昔っからいろんなことができる奴で、それでも全然気どらなくて、ぼく、誇りに思ってんだ」
アルはちらりとセレスを見た。
「だけど、ここんとこ、きみの様子を見てると、なんかどんどん離れていっちゃうような気がするんだよ。ラインに入って科も違ってて、あんまりお互いの様子は分からないんだけどさ、だけど、どこかでセレスとは繋がってるつもりでいたんだ。だのに、会うたんびにきみはいつも遠い目をしててさ」
アルは目をしばたたせた。
「こないだの休暇の時のことを根に持ってるとか、そういうんじゃないから勘違いしないでくれよ。ただ、ぼくね、前みたいにセレスが何を考えてるのか分からないんだ」
セレスはアルを見つめた。アルは少し顔を赤くした。
「ごめん、なんか変なこと言っちゃった」
アルは照れくさそうに笑って頭を掻いた。
「なんか、心配で……」
「おれ…… ケイナを守りたいって思ってるんだ」
セレスはしばらく躊躇したのち、アルに初めて自分の気持ちを白状した。
アルはびっくりしたような顔をセレスに向けた。セレスは肩をすくめた。
「おかしいだろ? おれみたいなただのロウライン生がさ、エリートをそのまんま形にしたみたいなケイナを守りたいって思ってるんだ」
セレスは自嘲気味に笑った。
「なんでなのかな…… おれ自身もよく分からないんだ。ただ、彼のそばにいなくちゃならないって気持ちだけがものすごくあるんだ。ケイナが何か危ない目に遭ったら、おれ、きっと命を張ってでもケイナを守ると思う」
 アルは一年前よりはるかに精悍な顔つきになってきたセレスの横顔を見た。
四年前、セレスはだぼだぼの革のジャケットをはおって、空中を泳ぐように校庭を走り回っていた。
こぼれ落ちそうなくらい大きなグリーンの瞳と、ゆらゆらと風になびく木の葉のような緑色の髪が特徴だった。
その特徴はそっくりそのまま今も残っているが、短く切った髪の下から弧を描く顎は少年の幼さを保ちながらも頑丈な骨格をつくり出しつつあるし、細く弱々しかった腕はわずかながらも逞しくなっていた。
すんなりと長く伸びた足もしっかりと地を踏み締めていた。
きっとケイナのナンバー・ツーと言われる日も遠くないだろう。
「なあ、アル」
セレスはアルに顔を向けた。
「それでも、おれ、昔と変わってないつもりだよ。ケイナじゃなくて、アルが何か危険な目に遭いそうになったら、おれはアルのことを守るよ。アルのことは大事だと思ってるよ」
それを聞いたアルの顔が真っ赤になった。
「おべんちゃら言うのよせよ」
アルはしどろもどろになって顔を背けた。セレスはおかしそうにくすくす笑った。
「おべんちゃらじゃないよ。おれたちきっとこのまんま大人に・・・・」
ふとセレスはそこで言葉を切った。アルが顔を向けると、セレスの持っていたフォークが床に落ちてかしゃりと大きな音を立てるのが目に入った。
「何やってんだよ」
アルは首を振って立ち上がり、フォークを拾ってやった。照れ隠しにいいごまかしができたと思った。
しかし、フォークを彼に渡そうとしたとき、アルはセレスの顔が凍り付いたように固いことに気づいた。
「どうしたの」
アルは不審に思って尋ねた。セレスははっとしたような顔をすると首を振ってフォークを受け取った。
「なんでもないよ」
セレスは肩をすくめて少し笑みを見せると再び食事を始めた。
アルは訝しそうにセレスを見つめた。

 最初は疲れているだけか、体調がすぐれないだけだとトニは思っていた。
試験も近いし、きっとストレスがたまっているのだ。
しかし、セレスの顔色は日に日に悪くなっていくように思えた。
食欲も落ちた。トニが一緒に食事に行こうと誘ってもなんだかんだと言い訳を言って行かなくなった。
そのままほうっておくとずっと食べないでいるようなので、時間が合えばセレスを無理にでもダイニングに引っ張って行った。
不思議なのは、朝起きた時は死人のような顔つきなのに、しばらくすると顔色も良くなって普段と変わらないように見えた。そして夕方会うと再びげっそりとした顔つきになり、なんとか夕食をとってしばらくするとまた元気になるのだ。
それでもセレスは二週間で体重が四キロは落ちたように見えた。
もともと細みのセレスは少し痩せてもすぐに見た目に跳ね返ってしまう。四キロも痩せたセレスはどう見ても普通ではなかった。
トニは見るに見兼ねてセレスもジュディもいないときを見計らってケイナに相談した。
「分かってる」
ケイナは分厚い本をめくりながら答えた。
「おれも、RPの時に一度医者に診てもらえと言った」
「行ったのかな、セレスは……」
トニは不安そうにつぶやいた。
「行ってないだろうな」
ケイナはぽんと音をたてて本を閉じた。
「試験まであと二週間しかない。なまじ入院なんてことになると試験をフイにしかねない。普通だったら行かない」
「ケイナ、あのままじゃ、なんだかセレスは倒れてしまいそうだよ。変だよ」
トニはすがるように言った。
「ブロード教官からもそう言われてる」
ケイナは髪をかきあげてトニを見た。
「単純にストレスくらいのことならそのまま試験を受けさせると教官は言ってる。教官も今ここでセレスの受験をフイにしたくないんだ」
「セレスはストレスだと思います?」
トニは眉をひそめた。不安を感じているのか、顔が少し紅潮している。
「ぼく、とてもそうは思えない。セレスはきっと病気だよ」