12-6 歯車

 トウ・リィがそろそろコリュボスに行こうと思い立ったのはちょうどそんな時だった。
 カインが思うようにデータを送ってこない。
 画面越しのためカインがあれやこれや言い訳をする姿に堪忍袋の緒が切れて殴り飛ばしたくなる気持ちをただぐっと押さえるしかない。彼女のイライラは頂点に達していた。
 本来一ヶ月に一度はコリュボスに行くつもりだったのが、到底そんな時間は取れなかった。
いい機会だ。
「体の調子がすぐれないのよ。カインの顔を見てから二、三日静養するわ」
彼女は秘書のクーシェにそう言った。
「お顔の色が良くないとずっと思ってたんです。お留守の間は任せておいてください。幸い一、二週間はこみあった会議もありませんし……」
社長就任時から彼女のそばで彼女の成長を見守ってきたクーシェにとって、トウを疑うことなど彼女の生き方には含まれていなかった。
(顔色が悪いのはカインの反抗に頭を痛めて夜眠れないせいよ)
トウは心の中でそうつぶやいたが、口には出さなかった。
(思春期? 反抗期? ……扱いづらいったらないわ)
「私がカインに会いに行くことは事前に知らせないで。一般の面会手続きを踏んで会うわ。あっちで大騒ぎされたくないのよ」
トウは二、三の書類をかばんに詰め込みながら言った。
「わかりました」
クーシェは頷いた。
「連絡もすべてこちらからするわ。午前と午後に一回ずつ。それ以外は何も連絡してこないで」
クーシェは再び頷いた。
トウは普段スーツを仕事着にしていたが、今回の旅行ではそれを脱いだ。
数年ぶりにベージュ色のラフなパンツに白のシャツ、革のジャケットに少年がかぶるようなキャップ式の帽子を目深に被りサングラスをかけた。
どこから見ても気楽な独身女性のひとり旅の格好だった。
船のチケットも偽名を使い、彼女はクーシェにすら旅立ちの時間を知らせずひとりでコリュボスに向かった。
船の中で彼女はバッグから書類を取り出して読んだ。
とらえどころのないセレス・クレイの身上調査を独自のルートで調べさせたものだ。しかし、読んでトウはがっかりした。カインが調べたものとさほど差のない内容だったからだ。
『どうしてセレス・クレイのことは肝心なことが何も出てこないの……』
トウは納得できなかった。
セレス・クレイ、15歳。身長168センチ、体重56キロ。視力左右とも1.5。知能指数は130。
生殖機能ダブルプラス。ただし要再検査。両親とは二歳の時に死別。
父親のレイサー・クレイは大学の教授、母親のエリサ・クレイは看護婦。ともにリィ系列の職場で、ふたりとも旅客機事故で死亡。
「史上最悪」の旅客機事故……
「何が史上最悪よ。最上と言って欲しいわ」
トウは小さな声でつぶやいた。
彼女が何のことを言っているのか知っていれば、この彼女の言葉に圧倒的多数の人間が非難を浴びせるだろう。
しかし他社のこの事故があったからこそ、この年リィ・カンパニーの旅客船部門は飛躍的な売り上げを計上したのだ。
 あの時期、航空機事故はまるで伝染病のように頻発していてリィの中でもなかったわけではない。小さなトラブルなら数えきれないほどある。
しかしそれが取るに足らないものと錯角するほど事故は多かった。
消費者に錯角を起こしてもらうためにもあの事故は「史上最悪」でなければならなかった。
 トウはちらりと窓の外の暗い空間を眺めたあと再び書類に目を落とした。
靴を脱いで小さなソファの上に両足を乗せてあぐらを組んだ。個室のチケットを買ったから誰にも見とがめられることはない。
セレスは両親が亡くなったあと、兄のハルド・クレイと一緒に父親の妹夫婦に引き取られている。これもカインの報告書通りだ。叔父のケヴィンはリィ系列の総合病院の外科医、妻のフェイは元ジュニア・スクールの教師。
「あの髪と目はどうしてなの……」
トウはぱらぱらと紙をめくった。そしてセレスの遺伝子検査のカルテのコピーを見つけた。
結果はすべて異常なし。
「癌の遺伝子もなし。生殖機能きわめて良好。でも緑色の髪と目を持つ人間なんて、そうそういるはずないわ」
トウは食い入るようにカルテを見つめた。そして紙束の前のほうに戻った。セレスの両親の経歴書の部分だ。
レイサー・クレイのほうはすでに大学の関係者に問い合わせ済みだった。彼は確かに数年間だが大学に在籍して教鞭をとっていた。トウは母親のほうに目を向けた。
エリサ・クレイ。リィ・エンター総合病院。勤務歴は長いようだが、彼女の生い立ちや経歴がまだほとんど未記入のままだった。
トウは船に備えつけの通信機にパスワードを入れると独自回線を開いた。
「所長を呼んで」
相手が出たことを確認するとトウは言った。しばらくしてしわがれた男の声が聞こえた。
部下に仕事用の出立ちでないことを見られたくなくて画面はオフにした。
「バッカードですが? ミズ・リィ?どうしたんです。個人通信など……」
バッカードの声は明らかに困惑していた。何かミスを突かれればどう言い逃れしようかと思案している様子が目に浮かぶようだ。
「十五年前くらいの職員のデータが欲しいの。エリサ・クレイ。クレイは結婚後の姓よ。結婚前は ……ロラン」
トウは指で紙をなぞって言った。
「十五年前ですか? 所属は?」
バッカードは少し安心したように言った。
「第三病棟よ」
「第三病棟…… 感染症の病棟ですな。ちょっと時間をもらえますか? 十五年前のデータがどこまで残っているか…… ましてや一職員となると。私もその当時はここにはおりませんでしたし」
いちいち何かと言い訳をする。まだなんにもしていないのに。この男は本当にいけすかない。
トウは顔をしかめた。
「できるだけ早く調べて。彼女の個人的なデータが分かるだけあったほうがいいの」
「分かりました。オフィスにお送りすればいいですか?」
「いま旅行中なのよ。あとで宿泊先から連絡するわ。これはアウトの事項よ」
アウトとは外部に絶対漏らすなという意味だ。
「了解しました。旅行とはまたおめずらしいですな。いい旅になることをお祈りしていますよ」
バッカードがそう言ったので、トウは通信機のスイッチを切った。
「あんたに言われたくないわよ」
トウは吐き出すように言った。そして紙束に目を移した。
「いまいましい…… 途中で放り出して隠そうとしなければ こんな面倒なことにはならなかったのに。わたしはおじいさまやパパとは違うわ。絶対完成させてみせる」
トウはつぶやいた。