11-8 予見

 ジェニファを振り向くこともなくまっすぐに自分の部屋のドアの前に戻って、しばらくドアの前で呼吸を整えるように深呼吸をくり返したあと、ケイナは部屋に入った。
「どこに行ってたの」
ケイナの顔を見てセレスが言った。腹を満たし、汗を流して満足そうな表情をしている。
ケイナは何も言わずにセレスの脇をすり抜けて、からからに乾いた咽を潤すためにキッチンにミネラルウオーターを取りに行った。キッチンの小さな台の上にはジェニファの持ってきたパイが乗っていた。
ケイナはそれをしばらく見つめて再びリビングに戻った。
カインはクッションを枕にして本を読んでいた。 アシュアはすでに高いびきをかいていて起きる気配は全くない。
「ジェニファに何か占いでもしてもらったの」
セレスは床の上で毛布にくるまって欠伸まじりに言った。
「まあな……」
ケイナは立ったまま水を飲んだ。カインが無関心を装って聞いているのは分かっていた。
「なんて?」
セレスはわずかに好奇心のこもった目でケイナを見た。
「わかんねえよ」
ケイナはぶっきらぼうに答えた。それは正直な気持ちだった。カインが目をこちらに向けるのが分かった。
「ふうん……」
セレスは興味を失ったらしく、それ以上は聞こうとしなかった。ケイナは心の中でほっと胸をなでおろした。
「ケイナ、もう寝ろよ。体力がまだ完全に回復していないんだから」
「そうする」
ケイナは答えるとミネラルウォーターのボトルを持ったまま寝室に入っていった。
寝室のドアが閉まってからカインは床にそのまま寝転がっているセレスを見た。彼はあっという間にすうすうと寝息を立てていた。
「呑気だな、おまえは……」
カインは首を振って自分も横になるために本を閉じた。

 翌朝、セレスは誰かがドアを叩く音で目が醒めた。
起き上がって部屋を見回すとカインもアシュアもまだ眠っていた。
一瞬夢だったのかと思ったが、 再び音がしたので目をこすりながら立ち上がってドアを開けにいった。
「ケイナは?」
ドアの外にはジェニファが立っていた。
「まだ…… 寝てると思うけど……」
セレスはぼんやりした頭で答えた。時計を見ると明け方だった。セレスの答えにジェニファは戸惑ったような表情になった。
「シェルが亡くなったの。そう伝えてくれない?」
一気に目が覚めた。セレスはうなずいて部屋に戻り、ケイナの寝室にそっと入った。
「ケイナ……」
セレスは毛布にくるまっているケイナを揺さぶった。
「ケイナ」
「うるせえ……」
ケイナはくぐもった声で言った。
「ジェニファが来てる。シェルが亡くなったって言ってる」
「え……?」
ケイナは眠そうな顔を毛布から出してこちらに向けた。
「ゆうべパイを届けてくれた人じゃないの?」
セレスは言った。ケイナは身を起こすと髪をかきあげ、顔を両手でこすった。そして毛布をはね除けて立ち上がり寝室を出た。
寒そうに身を縮めて立っていたジエニファはケイナの顔を見てほっとしたような表情になった。
「二時間ほど前にシエルが亡くなったの。老衰よ。まるで眠るように安らかに逝ったわ……」
ケイナは黙ってジェニファを見つめた。
「あんたたち、今日中に中央塔に戻ったほうがいいかもしれない。そのうちここは弔問のノマドで一杯になるから」
そこまで話すと彼女はくしゃみをひとつした。
ケイナの後ろでセレスが心配そうに顔を覗かせた。話を聞いていたらしい。
「シェルにありがとうを言ってなかった」
セレスは言った。
「パイ、焼いてくれたんでしょう?」
ジェニファは微笑んだ。
「優しい子ね…… 大丈夫、ちゃんと食べてくれればそれで彼女は満足するわよ」
セレスを見てそう言い、そして彼女はケイナに再び目を向けた。
「次の休暇を楽しみに待ってるわ。元気で戻っていらっしゃいね」
ケイナは黙って口の端に軽くキスをした。
彼女はケイナにそっと耳打ちした。
「いい子だわ…… 絶対あの子と離れちゃだめよ」
ケイナは肩をすくめた。
ジェニファが帰ったあと、セレスはケイナをまじまじと見つめた。
「ジェニファにはあんなふうにしょっちゅうキスするの?」
「あれはノマド式の挨拶だよ。できるだけ口に近い部分にキスするのが親愛の印なんだ。男同士はそれでもこうすることもあるけど」
ケイナはすばやくセレスに顔を寄せると、大袈裟に音をたてて頬にキスをした。
「やめろよ! 気色悪い……!」
セレスは顔を真っ赤にして抗議した。
笑ってアシュアとカインを起こしにリビングに戻って行くケイナをセレスはごしごしと頬をこすりながらむくれて睨みつけた。
「あと2日は中央塔には戻れないぜ」
ケイナの話を聞いたアシュアは欠伸まじりに伸びをしながら言った。
「図書室と訓練室くらいは出入り可能かもしれんけど。あんなとこには寝れんだろ」
「ノマドたちが来てぼくらも同胞だと思われると帰れなくなるぞ。1週間の葬儀を途中で抜けるのはノマドの中で一番の非礼だ。前に何かの文献で見た」
カインはメガネをかけながら言った。セレスがケイナの顔を見ると、彼はそうなんだよ、というように肩をすくめてみせた。
「しゃあねえな。とりあえず出るか……」
アシュアは面倒臭そうに立ち上がった。
 4人はあわただしく身支度を整え、アパートを出る前にシェルの部屋に行った。そしてノマド式に老婆の亡骸のそばにジェニファから手渡された若木の小枝をひとり一本ずつベッドの上に置いて冥福を祈った。
ジェニファは遺骸に防腐の香油を施し、これから三日三晩その枕元で祈りをささげるのだ。
 シェルはまるで口元に笑みを浮かべているような顔だった。
顔中しわだらけになっていたが、きっと昔は美人だっただろう。
セレスは一番最後にシェルの横に小枝を置き、しばらく彼女の顔を見つめたのちそっと顔を寄せて彼女の唇のそばにキスをした。つい数時間前までは笑って動いていた彼女の顔は冷たくなっていた。
「シェル、ありがとう。パイ、絶対食べるね」
セレスは目を閉じたままのシェルにささやいた。ケイナはそれを見ていたが何も言わず黙っていた。
 少しずつノマドたちがアパートに集まってきていた。
朝もやの中を頭からすっぽりと布をかぶって歩いて来る彼らの姿は一種独特な雰囲気で、ケイナたちはこっそりと彼らに見つからないようにアパートを抜け出すと建物の裏のエアバイクを停めていた場所に行った。
「なんだか慌ただしい休暇だな」
荷物をエアバイクの脇にゆわえつけてアシュアが言った。ケイナはセレスに後ろに乗れ、というように合図し、4人はあてもなくシティに向かって飛び立った。