11-1 予見

 二日後、ようやくケイナは退院することになった。
「しばらく目が覚めなかったから少し心配しましたが、そのあとが早かったですね。回復がこんなに早い人はめずらしいですよ。普通だったらもう二日ほど様子を見るところなんですが…… もともと自己回復力が高い体質だったんでしょうね」
担当の若い医師は感心しながらケイナに言った。二年前の事件のことを知ったらこの医者は何と言うだろう。
「ああ、それと……」
立ち上がって診察室から出ていこうとするケイナに医者は思い出したように言い、ケイナに一枚の紙を渡した。
「リィ・ホライズン研究所属病院のギード博士から、ここでのあなたの治療経緯とカルテを送るように言われました。了承ならサインをこの書類にして退院の時にナースステーションに渡していってください。ずいぶん権威のある方が主治医でいらっしゃいますね。何か過去に大きな病気でも?」
「いえ……」
ケイナは紙を受け取って答えた。
「単に彼がホームドクターだっただけですから……」
ケイナは嘘をついた。ホライズンの人間がホームドクターでなんかあるはずがない。しかし、彼に詳しい説明をする必要はなかった。
<18歳になったらぼくを仮死保存するために、それまでのデータを蓄積している人ですよ>
言ってみたい気もしないでもなかったが。
「ああ…… なるほど」
医師はケイナのカルテの名前を見て納得したようだった。
「カート司令官の御子息でしたね」
ほんとうの『御子息』でもないけど。そう思ったが、ケイナは軽く会釈をすると診察室を出た。
病室に戻るとカインとアシュアがいた。
「セレスは?」
ケイナは部屋を見回して言った。さっきまで部屋にいたはずだった。
「おれたちの顔を見るよりセレスのほうがよかったか?」
アシュアがふざけて言った。
「なにをばかなことを」
ケイナはアシュアをじろりと見て入院中にアシュアがアパートから持ってきてくれた衣類や細々したものをバッグに詰め始めた。
「きみのエアバイクを取りに行くと言ってた。すぐに戻るだろう」
カインが答えた。
「いつこっちに戻って来た?」
ケイナはカインを見ずに言った。
「昨日だ。きみのことをアシュアから聞いていたが、すぐに戻れなかった」
ケイナはそれを聞いてもわずかにうなずいただけだった。
「とりあえずアパートに戻るんだろう? 退院祝いでもするか?」
アシュアがにやにやしながら言うとケイナは笑った。
「めんどくせえ……」
ケイナのその表情と言葉はこれまでとは違っていた。いつもならまず反応しない。アシュアとカインはちらりと顔を見合わせた。
「でも、久しぶりにおまえの作ったあの変な料理が食いたくなった。ここのメシがやたらとまずかったんだ」
ケイナは髪をかきあげながら言った。
「あいよ、了解」
アシュアは笑った。
カインはそんなケイナを無言で見つめた。
この変貌ぶりはどうだ…… すべてセレスの影響なのか?
たった数カ月で、ケイナをここまで饒舌にするとは。ぼくにはさっき自分で聞いておきながら、ろくに返事もしなかったのに。
カインは自分でもわけの分からない不安を感じていた。
 コリュボスに戻る前にセレスの報告書をトウに提出してきていた。
前に一度調べていたから概略をまとめあげるのは造作なかった。
トウがそれを見て何と言うか分からない。
カインは彼女に会わずに彼女の秘書にレポートディスクを提出し、そのままコリュボスに戻って来ていた。
このケイナの状態を今後もトウに報告するのは気が進まなかった。
ほとんど自分から話すことも笑うこともしなかった彼にどんどん自発性が出て来る。
人に要望を言う。
そんなふうに彼を変えたものはいったい何なのか。ケイナの何にセレスが影響を及ぼしたのか。
ホライズンは嬉々としてこの点を追求しようとするだろう。
それを知ったとき、ケイナがいったいどんな行動に出るのか予想もつかなかった。
彼は…… ぼくらを殺すだろうか。
 そのとき、ふいに病室のドアが開いたのでカインは顔をそちらに向けた。部屋にいた誰もがてっきりセレスが戻って来たのだと思っていた。
しかし、そこに立っていたのは大柄の軍服の男だった。
彼の姿を見るなりアシュアがおもちゃの兵隊のようにぴしりと敬礼をした。
「レジー……」
ケイナはつぶやいた。カインも敬礼をした。
まさかカート司令官が来るとは。
レジー・カートの栗色の髪のこめかみ部分には白いものがちらほら見え始めていたが、灰色の目はいまだに鋭い光を放ち、少し太って体型が崩れているにも関わらず軍服の下の筋肉は引き締まっていることが見てとれた。
彼はしばらく病室の中を黙って眺め、カインとアシュアにちらりと目を向けたあとゆっくりと足を病室の中に踏み入れた。
ケイナはバッグをベッドの上に置くと、義理の父に向き直った。
レジーはケイナの顔を見つめながら彼に近づき、そしてその前に立った。
と、いきなり彼はケイナの体をがばりと抱き締めた。
「良かった…… 元気になって良かった……」
レジーはまるで小さな子供にするようにケイナの頭や背をなでさすり、カインとアシュアは敬礼したまま信じられない光景に目を丸くした。
「レジー、ち、ちょっと……」
ケイナは苦し気に身じろぎして言った。それでようやっとレジーは太い腕をケイナから放した。
「二年前のようなことになってしまったらどうしようかと、夜も眠れなかった。あんな思いは二度とごめんだ」
「もう、なんともありません」
ケイナは彼に言い聞かせるように言った。
「全く…… 司令官という仕事は息子が病院に入っていてもすぐに動くことができん」
レジーは首を振って言った。
「ちょっと中央塔を出るというだけで二十人くらいのボディガードがついてくることになってしまう。だから、こっそり抜け出した。ハルド・クレイに頼んだ」
レジーが病室のドアのほうに顎をしゃくったので、そちらに目を向けるとハルド・クレイが立っていた。
彼はケイナと目が合うと、かすかに笑みを見せた。
「おまえは休暇になってもちっとも顔を見せに来ない。たまには父親に会いに来るものだ」
レジーは小さな子供に諭すように言った。
「すみません」
ケイナは答えた。
「司令官、申し訳ありませんが、時間です」
ハルドが遠慮がちに口を挟んだ。それを聞いてレジーは顔をしかめた。
「待て、もう少しだから」
そう言うとカインとアシュアを振り向いた。ふたりはぎょっとして敬礼の背をさらに伸ばした。
「アシュア・セスはどっちだ?」
「自分であります! 司令官!」
アシュアが緊張して叫んだ。
レジーはアシュアに近づくと、いきなりアシュアの手を取り握りしめた。
「ありがとう! ケイナを助けてくれたそうだな! 本当にありがとう!」
「あ、い、いえ、あの、おれ、いや、あの、ぼくは……」
アシュアは面喰らいながらしどろもどろでレジーを見た。本当に助けたのは自分じゃないとはとても言えなかった。
「ハルド・クレイから詳しい報告を受けた。私は感謝しているよ」
レジーはにこやかに笑うと顔を巡らせた。
「セレス・クレイという子はどこだ? ずっとケイナについてくれていたそうだが?」
「セレスはケイナのエアバイクを取りに行ってます。すぐ戻ると思いますが」
カインがそう答え答えると、レジーの表情が曇った。実に表情豊かな人だ。
「そうか、残念だな」
レジーはつぶやいた。
「私が自由に行動できるのはわずか数分なんだ。ひどい話だ。すまんが、彼にわたしが礼を言っていたと伝えてくれ」
レジーはケイナに言った。ケイナはうなずいた。
最後にレジーはもう一度ケイナが窒息しそうなほど彼を抱き締めると、ハルドに付き添われて病室をあとにした。
三人は硬直したままそれを見送った。
しばらくしてアシュアがずるずると壁を伝って床に尻をついた。
「あああ…… 冗談じゃねえ…… 指導官の前でもこんなに緊張したことってないぜ……」
それを聞いてカインが慌ててアシュアを足で蹴った。
「指導官」というのは『ビート』のトレーナーだ。しかしケイナは気づかなかったようだ。
「おまえでも緊張することってあるんだな」
ケイナは笑いながらバックに再び荷物をつめながら言った。
「けっ!」
アシュアは顔をしかめた。
「司令官は本当にきみのことを大事にしてるみたいだな」
カインは言った。
ケイナはちょっと手をとめたが、そのままバッグを閉めるとベッドに腰を下ろし、靴のひもを締め直し始めた。
「レジーにはよくしてもらったよ…… あの人の本当の息子だったらどんなにいいだろうとよく思った」
「司令官はおまえのことを息子だと思ってるぜ」
アシュアは言った。
「息子はユージーだよ」
ケイナはちらりとアシュアを見たあと肩をすくめた。
「レジーはあの通りの性格だからおれとユージーを分け隔てなく大切にしてくれたけど、カートの跡継ぎはユージーなんだ。おれじゃない」
「ユージーはそう思っていないんじゃ・・・」
「関係ないよ」
アシュアが言いかけた言葉をケイナは遮った。
「仮にレジーがおれを後継者につけたいと思っても周囲が許さない。古い慣習を重んじるカート家ではおれはいずれカートの名前を捨てなくちゃならない。だから家を出た」
ケイナはつぶやいた。
「カンパニーとの契約は14歳だったんだ。それに逆らってまでおれを「ライン」に入れようとしたのはレジーだ」
「カート司令官が?」
カインが少し驚いたような声をあげた。
「リィがよく了承したな」
「だけど、18歳の期限はもう動かない。おれももうレジーにこれ以上迷惑をかけたくない」
ケイナは靴紐を結び終えて髪をかきあげた。
「もういいよ…… おれみたいなのはいつまでも外に出てちゃいけない。そうだろ?」
カインもアシュアもその言葉に返すいい返事を見つけることができなかった。
「そろそろここを出よう。あいつももう戻ってくる頃だ」
ケイナはそう言うとバッグをとりあげた。