10-5 暴走

 ケイナは病院に運ばれ、丸二日間眠ったままだった。そして三日目になっても目を覚まさなかった。
 銃ではじき飛ばされた半分の耳は尻のほうの組織を培養し、以前とほとんど変わらないように接合された。
 セレスは死んだようにぴくりとも動かないケイナの顔を見つめた。
アシュアの言うように本当に戻って来てくれないのだろうか。
彼を置いて家に帰ることなどできず、セレスは彼の目が再び開くことを祈り続けながらケイナのそばにいた。
「様子はどうだ」
ハルドが病室に入ってきて青い顔をしているセレスに言った。
「変わりない」
セレスは首を振った。
「もう、とっくに目が醒めてもいいらしいんだけど」
「少し眠ったほうがいいぞ」
ハルドは真っ赤に充血した弟の目を見て心配そうに言った。
「寝てるよ。そのへんで…… でも、細切れに目が醒めちゃうんだ」
セレスは脇の簡易ベッドを顎でしゃくって答えた。ハルドはため息をついた。
「アシュア・セスは?」
ハルドは部屋を見回して尋ねた。昨日来た時にはケイナのそばにいた。何も言わずに暗い顔でずっとケイナの顔を見つめていた。
「一度家に戻るって言ってた。ケイナの目が醒めたらすぐに連絡してくれって言ってたけど……」
セレスは目をこすりながら答えた。
「兄さん」
訴えかけるような目をして自分を見る弟にハルドは目を向けた。
「ケイナは何か罪になる?」
「ならないよ」
ハルドは弟を安心させるように少し笑みを浮かべて答えた。
「ならないように報告書をまとめた。マスコミへの情報もだいぶんシャットアウトした。市民を守るためにケガをしてまで立ち向かった勇敢な少年ということでみんな認知するだろう。もっとも……人の噂だけは制御するわけにはいかないが…… 助けられた人がいるのは確かなんだから悪いようにはならないだろう」
「兄さんは…… 大丈夫?」
セレスの不安はまだ晴れないらしい。ハルドは腕を伸ばすとセレスの頭に手を置いた。
「カート司令官はあのときケイナのことは任せるとおっしゃっていたんだ。任せると言ったのはね・・・何があったとしてもぼくの権限で行ったことなら文句は言わないということだよ。その言葉をあとで覆すような人じゃない」
「よかった……」
セレスはようやく安堵の息を吐き、ケイナの横たわるベッドに頬杖をついて再びケイナに目を向けた。
「あとは目が覚めるのを待つだけだね」
ハルドはさまざまな疑問が頭を渦巻いていたが憔悴しきっている弟を気づかって今は何も聞かないでおこうと思った。
「おれはもう戻らないといけないんだ・・・」
ハルドは言った。
「一緒にいてやりたいんだが…… すまないな…… おまえも体を休めるんだぞ」
「分かってる」
セレスはかすかに笑みを浮かべて兄を見た。ハルドは笑みを返したあと、ふと思い出して上着のポケットを探った。出てきたのは小さな女の子の人形だった。
「ケイナの目が覚めたらこれを渡してやってくれ。彼が助けた女の子が早く怪我がよくなるように渡してくれと言っていた」
ハルドはそれをセレスに手渡した。金色の髪に青い目をした、どことなくケイナの面立ちに似ている人形だった。
「分かった。渡すよ ……兄さん、ありがとう」
ハルドはまた手を伸ばして弟の頭をくしゃっとなでると病室をあとにした。
兄が出て行ったあと、セレスはケイナの顔を見つめながら頭をベッドにもたせかけた。
「帰ってきてよ、ケイナ。このまま眠ったまんまなんて、オレ許さないからな……」
そしてしばらくたつと、自分が深い眠りに落ち込んでいったことにセレスは気づかなかった。

 その頃、アシュアは画面の向こうで怒りを顔中にあらわしているトウ・リィと、その横で無表情に立ち尽くすカインを見ていた。
「彼がいつもと違う行動をとってたっていうのに、どうして彼のそばを離れたの」
トウの声は怒りを必死になって押し隠しているようだった。
「それは、さっきも言った通り……」
カインは答えた。
「そんなことをするなんてぼくらは聞いていなかったし、知らなかったんです」
トウの鋭い目がカインを睨みつけた。
「ケイナはおれたちと別れるほんの数十分前にはいつものようにアパートに戻るって言っていたんです」
アシュアが画面越しに助け舟を出した。
「ふざけた言い訳をしないでちょうだい!」
トウの目がじろりとアシュアを睨んだ。アシュアは思わず目の前のモニター画面から身をのけ反らせた。
「『見えた』からアシュアをケイナのそばに行かせたんでしょう?! 「見えて」いたのにわざとケイナの行動を許したわね!」
ついに怒りが爆発し、トウはカインのメガネをひったくって取ると床にたたきつけた。メガネは割れはしなかったが、かちんと小さな音をたてて床から跳ねかえった。
「セレス・クレイというのは…… いったい何者なの」
トウはメガネをとられてもびくりともしないカインを憎々し気に睨みつけて言った。
「今年ラインに入った軍科の新入生です。ケイナとは同室でした」
カインは表情を変えずに答えた。
「そんな子とケイナがどうして個人行動をとるのよ」
トウはカインに詰め寄った。カインは肩をすくめた。
「何を隠してるの? 私の目がごまかせると思ってたの?」
トウはいらいらとした口調で言った。
「ケイナが前のように自分で自分を殺そうとしたらどうするつもりなのよ!」
カインが何も言わないので、トウはデスクを平手で叩いた。デスクの上のトウの華奢な愛用のペンが衝撃で跳ねた。
アシュアはじっとカインの出方を見守った。カインの考えることに合わせるつもりだった。
「ケイナはそんなことはしません。セレス・クレイがそばにいれば」
カインは言った。
「どういうこと?」
トウは目を細めた。
「ケイナだって普通の人間ですよ。心を許せる相手になら気持ちだって平穏でいられるんです」
「普通の人間?」
トウが嘲るような笑みを浮かべたのをカインは見咎めた。
「普通の人間でしょう。ケイナは当たり前に普通の17歳の人間だ。何が違うって言うんです」
「トウ」
アシュアはたまりかねて口を挟んだ。このままカインにしゃべらせていたら、トウは彼の顔をはり飛ばしそうな気がしたのだ。画面越しでいる以上、自分には彼女の平手が飛んでくる心配はない。
「今回確かにケイナは一時自己喪失に陥っていたけれど、あのときセレスの呼び掛けに反応した。だからおれはケイナから銃を取り上げることができたんだ。セレスがいなければ、カインがいない時におれひとりではケイナを静めることはできなかったと思う」
トウはしばらく黙っていた。やがて鋭い目をカインに向けた。
「セレス・クレイの報告書を一週間以内に提出して。それから休暇が終わったらセレス・クレイの行動もケイナの行動と合わせて提出すること」
カインの眉がぴくりと動いた。トウはそれを見逃さなかった。
「隠そうなんてことはもうしないことね。あと一回こういうことがあったら、ただじゃすまないわよ。解雇されるだけじゃないくらいの覚悟はしておくことね。ビートの名前が聞いて呆れる。一度ならず二度までも……!」
そこでアシュアの前の映像がぷつりと消えた。アシュアは長いため息をついた。
「どうする気だ、カイン…… 下手するとおれたちはケイナを敵に回すことになるぞ……」
アシュアはそうつぶやいて、まだトウの繰り言を言われているだろうカインを思い浮かべた。