09-5 休暇

 ケイナはもしかしたらそのままノマドにいたほうが幸せだったのかもしれない。
セレスはシャワーを浴びながら思った。
ノマドの中ではすべて許されただろう。すべてをノマドたちは受け入れてくれただろう。
類い稀な容姿も突出した能力も、そんなものはノマドの中では関係なかっただろう。
ケイナの本当の両親はケイナのことを分かっていて、だからノマドに託したのかもしれない……
 シャワーから出てタオルで頭をごしごし拭きながらバスルームから出てきた時、セレスは我が目を疑った。
ケイナはどうやら荷物の中から本を取り出して読むつもりだったらしいが、本を開いたままソファに身を横たえて眠ってしまっていた。
うたたねをするケイナなどラインの中では想像もつかない。
「ケイナ、こんなとこで寝ると風邪ひくよ」
セレスは声をかけたが、ケイナはぴくりとも反応せず心地良さそうな寝息をたてている。
疲れているんだ、と思った。
ふと、彼の右の手首の甲に切り傷があるのが目についた。もうだいぶん癒えているようだが、刃物で切ったような傷だ。いったいどこでつけたんだろう。
ケイナは全然表情に出さないから分からないけれど、おれの知らないところでいつも怪我をしたりさせられたり、そんな生活をしているんだ……
『ぼくらはいつもケイナのそばにいる』
そう言ったカインの言葉が思い出された。
一緒にいてもケイナは怪我をする。
「ここは安全だからゆっくり寝ていいよ」
セレスはそうつぶやくとケイナの胸のところに開いたまま置かれている本をテーブルに置き、エアコンディショナーを調整し、彼の重いハーフブーツを苦労して脱がせ、床にだらしなく落ちているケイナの片方の足をうんうん唸りながらソファにのせた。
そして自分のベッドから毛布を取ってきてケイナにかけた。
窓のブラインドを閉め、もう一度ケイナをちらりと見やると自分も横になるために寝室に向かった。
昼間っから眠れるなんて、きっと今くらいしかないことは分かっていたからだ。
アパートには静けさが訪れた。

 午後三時頃にセレスが目を覚ましてリビングに戻ってみると、思った通りケイナは数時間前に見た時と全く同じ格好でまだ眠っていた。
ぴくりとも動いていないに違いない。
セレスはどうしようかと思ったが起こすにはしのびなかったのでそのまま寝かせることにした。
兄が帰るまでに彼が目を覚ますかどうかは疑問だった。もしかしたら明日の朝まで眠ったままかもしれない。
 そして、夕方近くなってドアがあけられる気配がした時もケイナは起きなかった。
セレスは入ってきた兄のハルドにしいっと言って人差し指をたててみせた。
「誰?」
ハルドは小声で目を丸くしてソファのケイナを見た。
「おれの友だち」
セレスは肩をすくめてみせた。
「疲れてるみたいなんだ。休ませてやってよ」
「ラインの?」
ハルドはセレスと毛布にくるまっているケイナを交互に見て不思議そうな顔をした。毛布の下の少年はどう見てもセレスよりも大きな体をしている。
「アル・コンプ…… じゃないよな……」
ハルドはそうつぶやいてケイナに近づいた。金色の髪が毛布の下から覗いていた。アルの髪は栗色だ。顔はすっぽりと毛布にくるまれているのでよく見えない。
「アルは今頃おやじさんのコテージに行ってるよ。おれもあとから行くって約束したんだ」
セレスは兄のためにコーヒーを入れながらひそひそ声で言った。
「ずいぶんよく眠ってるなあ」
そう言いながらハルドはかすかに笑みを浮かべた。そこでセレスは兄を見て初めて気づき、慌てて兄の腰を指差した。
「兄さん、今日仕事場からそのまま帰って来たの?それって…… いけないんじゃないの?」
「ああ……」
ハルドは苦笑した。
「今日はエアポートに出てた。オフィスに戻ると絶対帰れないと思ったから 秘書のリーフに言ってそのままこっちに来た」
セレスは顔をしかめた。軍事用の銃をそのまま外に持ち出すなんてばれれば懲罰ものだというのはセレスも知っていた。
「誰にも言うなよ」
ハルドはそう言うと少し離れて安全装置のロックを確認するために銃を腰から取った。
その途端、ケイナががばっと跳ね起きた。
あまりの勢いにハルドは銃を持ったまま仰天して静止した。セレスはコーヒーのカップを危うく取り落とすところだった。
ケイナは目を見開いて体中を緊張でこわばらせていた。
「ケイナ!」
セレスははっとしてケイナに走り寄った。
「ケイナ! 大丈夫だよ! おれの兄さんだ!」
セレスは身構えるように顔の前で腕を交差させているケイナの肩を掴んだ。
「おれの兄さんだよ!」
ケイナはしばらく硬直していたが、やがてふっと全身の力を抜いた。
「ケイナ……? 大丈夫?」
セレスは両手で顔を被ってつっぷすケイナを覗き込んだ。
 それは異様な光景だった。
ハルドは度胆を抜かれていた。この少年は銃を抜く音を聞いてこんなにも緊張状態に陥る。この年齢でこんな人間がいるだろうか。
「びっくりした……」
ケイナは震える声でつぶやいた。体中ががくがく震えている。ハルドは銃を隣の部屋のケイナの目の届かない場所に置くと彼に近づいた。
「大丈夫かい? すまなかったね。せっかくの眠りを邪魔してしまった」
「いえ……」
まだ唇を震わせながらケイナは答えた。
「息をゆっくりと鼻で吸って、口で吐くんだ。そうすれば震えは治まる」
ハルドの言葉にケイナは深呼吸をくり返した。少し落ち着いたようだったのでハルドはセレスが持ってきたタオルを受け取ってケイナに渡した。ケイナは素直にそれで汗まみれの顔を拭った。
「おれ、何時間くらい眠ってた?」
ケイナはまだかすかに震えの残る声で言った。
「八時間くらいかな…… ぴくりとも動かなかったよ」
セレスは答えた。ケイナは再びタオルに顔を埋めた。
ひとりのアパートに戻ってもこんなに熟睡したことはない。
今起きていなければ翌朝まで眠っていたかもしれない。
そんなにリラックスしていた自分が不思議だった。
リラックスしていただけに、この衝撃はこたえた。
 ハルドは黙って美しい横顔の少年を見つめた。彼の全身からまだ氷のように冷たい殺気が消えずにいる。体中で警戒している。
そしてふと思い出した。
そうだ。この少年はカート司令官の息子だ。
自分がライン卒業したての頃、優秀生としてカート司令官の家に招かれたことがあった。その時紹介されたはすだ。
あの時はまだ10歳くらいだっただろう。忘れようと思っても忘れられないほどの美しい少年だった。
悪寒が走るほどの美しい顔だちに燃えるような荒みきった瞳が妙に心に焼き付いたのを覚えている。
あの時の面影は残っているし、顔だちの美しさは前にも増して目を見張るほどだ。
手や足は逞しく伸び、ずいぶんと引き締まっている。噂ではライン一の優秀な生徒だと聞く。
目の前にいる少年はそれに相応しい容貌をしていた。
その少年がどうしてこんなにも怯えるのだろう……
「ケイナ、シャワーを浴びたほうがいいよ。体が冷えると風邪ひくよ」
セレスはそう言い、躊躇するケイナを無理矢理立ち上がらせてバスルームに引っ張って行った。
シャワーの音が聞こえてくるとセレスはリビングに戻り、伺うように兄の顔を見た。
「今日、夕食に彼も誘ったんだ。いいかな……」
「いいよ」
ハルドは笑った。
「そのために連れて来たんだろ」
セレスはほっと息を吐いた。ハルドは制服を脱ぐために寝室に向かった。