09-1 休暇

「このあいだの夜、どこに行ってたの?」
ケイナとの一件があってから数日後、トニはシャワーから出てきたセレスに近づいて小声で言った。
ケイナがまだ部屋に戻っていないのはいつものことだ。ジュディもまだ帰ってきていなかった。それでも小声になるのは人に聞かれたくない話だからだろう。
「このあいだの夜?」
セレスは何のことか分からなかった。あれから射撃の訓練も始まり、連日ジェイク・ブロード教官にしごき倒されて神経がくたくただった。彼は評判通り厳しい教官でセレスは腕の力が弱いためにいつも焦点がぶれると叱られてばかりいた。その日の目標レベルまで達しないと夜間訓練に呼び出される場合もあった。ただでさえきついカリキュラムに上乗せをされてセレスはついていくのがやっとだったのだ。
「このあいだの夜だよ。ケイナとなんか言い合いをして部屋を出てったきり、1時間くらい戻ってこなかったろ」
「ああ…… あのとき……」
セレスは肩をすくめてトニから目をそらせると、濡れた髪をタオルでこすった。
「別にどこにも…… 彼とダイニングでずっと話してた」
「ケイナと1時間も?」
トニは目を丸くした。
「おれ、事故にあったハイライン生が死んだって聞いたとき、ケイナが平気な顔をしてるのが信じられなかったんだ。それで、なんでそんなに平気な顔できるのかって言って、彼を怒らせちゃったんだ」
なんでもないように言うセレスにトニは口をあんぐりとあけて見た。
セレスはトニに隠しごとをするつもりはなかった。だから正直に話した。
怒ったケイナが部屋を飛び出したので追いかけたこと、それで殴られたこと、ケイナが過去に負傷した手で殴ったために倒れたこと、それを冷やすためにダイニングに行ったこと……
トニに言わなかったのは、ケイナがなぜ左手を負傷したのか、その理由だけだった。
トニは黙って聞いていたが、納得したようにうなずいた。
「たぶん、そんなことだと思ったよ」
「なんかあったの?」
セレスは椅子に腰をおろしてトニを見た。トニはセレスのベッドの端に腰を下ろした。 個人のブースの中にはそこしか座る場所がなかったからだ。
「噂を耳にしたんだ。きみとケイナが夜部屋を抜け出してどこかにいっちまったって……」
「ふうん……」
セレスは興味がなさそうにつぶやいて首にかけたタオルを取った。
おおかた噂の出所はジュディだろう。言われなくても分かっていた。ジュディはあのとき目を覚ましていたのだ。
「きみはぼくの忠告なんて何にも聞いてないんだから。おまけにホントに怖いもの知らずだよ。ケイナにそんなこと言ったら殴られても当然だ。ケイナでなくったって怒るよ、普通」
トニは呆れたように首を振って言った。
「でも、おかげでケイナは冷たい人じゃないって分かったよ」
セレスは答えた。
「セレスの大バカ野郎」
トニは顔をしかめ、そしてため息をついた。
「まあね…… きみみたいに彼に真正面から言いたいことぶつける人、これまでいなかったのかも。 あのケイナが自分から自分のこと話すんだもの、彼はきみには普通の態度をとるみたいだね」
トニの口調にはかすかに羨望の色がこもっていた。近づいてはいけないと分かっていてもケイナは『ライン』では優秀な訓練生であることに変わりはなかった。
「じゃあ、おまえも話をしてみれば?」
背後で声がして、トニはびっくりして振り向いた。
いつの間に部屋に戻ってきていたのか、ジュディがセレスのブースの入り口に立って冷たい顔をふたりに向けていた。
「ライン一の優等生とお近づきになれたらいい気分だろ。ライン一の美形と仲良くなれてラッキーだろ」
ジュディは冷ややかで下劣な笑みを浮かべていた。
「なんだよ、それ……」
トニはむっとしたように彼の顔を見た。
「なにって、言葉そのまんまだよ」
ジュディは怯む様子もなく言った。セレスは黙っていた。ジュディの態度にはもう慣れっこだった。何かあるごとに文句をつけたくてしようがないのだ。
しかし、そのあとにジュディの言った言葉には思わず血が昇った。
「男ばっかりで5年間も過ごすラインでケイナみたいにご面相は上級生のおもちゃになるんだ。ケイナもそんなことが続けばその気になるんじゃないの。相手が男だろうと女だろうと年上だろうと年下だろうとおかまいなしってことさ。自分に気がありそうな下級生を夜中に誘い出してちょっと欲求の吐け口にしたくもなったんじゃねえの」
「あっちに行け。おまえの下品な言葉なんか聞きたかないよ」
セレスは口を歪めて言った。ジュディのあからさまな言葉に吐き気がした。
しかしジュディはさらににやにやと笑みを広げただけだ。セレスが反応したので、しめたと思ったようだ。
「ケイナのキスは優しかったかい。殴られて切れた口元をなめてくれたか?」
セレスががたんと勢いよく立ち上がったので、トニが慌てて彼を押しとどめた。
「知らないとは言わせないぜ。おまえは彼がどうして左手を負傷したか聞いてるはずだ」
ジュディは言い募った。セレスはびくりとして彼を仰視した。
「二年前、彼は数人の上級生に足を縛られ、利き手だった左手を砕かれた。そのあと彼はレイプされてるんだ」
「ジュディ! そんな噂話をこんなところでするな!」
セレスの腕を必死になって掴みながらトニが怒鳴った。セレスは思わずトニの顔を見た。
「トニ、きみもそんな話を聞いてんのか?」
「単なる噂だよ」
トニは必死になって言った。
「あの事件はみんな知ってる。でも、彼が手を砕かれたってこと以外分からないよ。真相は当事者しか知らないんだ。残ってるのは噂だけで犯人だった上級生はみんなラインを辞めてるんだ。本当のこと知ってるのはケイナと、ケイナを助けたカイン・リィとアシュア・セスだけなんだ」
「ケイナは覚えてないって……」
セレスは混乱したようにつぶやいた。
「言うわけないじゃないか」
ジュディはせせら笑った。
「自分からレイプされましたなんて言う人間がいるもんか」
セレスは唸り声をあげた。
「ケイナの気持ちも知らないで……!」
「やめろ! セレス!」
ジュディに飛び掛かろうとするセレスをトニは必死になって止めた。
喧嘩は反省室送りだ。やっと『ライン』での生活に慣れてきた大事な時期に反省室送りになってはまずい。
「ジュディ! 自分がケイナに目を向けてもらえないからって、セレスに八つ当たりするな!」
トニは叫んだ。その言葉はジュディの核心をついたようだ。彼の白い顔にみるみる血が昇り、まだらに赤くなった。
「きみはここに来た時からケイナに目をかけてもらいたくてしようがなかったんだろう! それがうまくいかなくてセレスとケイナがよく話してるのが気にくわないんだ!」
トニがそう叫ぶやいなや、ジュディのこぶしがトニの頬に飛んでいた。 トニはセレスのブースのデスクにぶつかり、跳ね返って大きな音をたてた。
それを見たセレスがジュディに飛び掛かろうとしたが、トニはセレスの腰に腕を巻きつけた。
「セレス、だめだっ! 殴ったら処罰対象になる!」
セレスは振り上げたこぶしを震わせてジュディを睨んだ。ジュディの顔はさらに赤くなり、肩で息をしていた。
「セレス、頼むよ」
トニの懇願するような声にセレスは唇を震わせてジュディを殴るかわりにデスクの天板を殴った。そして乱暴にトニの腕を離すと、ジュディの横をすりぬけて部屋を出た。
それを見送ったトニは立ち上がるとまだ息をきらしているジュディに言った。
「心配すんなよ。殴ったことは誰にも言わないからさ」
そう言って頬を冷やすためにバスルームに入っていった。