08-5 見えない時間

 外からの薄明かりの中で彼の横顔がくっきりと浮き出していた。
「なんにも…… 感じないんだ」
どこを見ているとも分からないケイナの視線をセレスは無言で見つめた。
「なんにも感じない。なんとも思わない。冷たいんだよ。頭ン中が」
ケイナは少し肩をすくめた。
「泣きたいとも思わない。笑いたいとも思わない。何を聞いてもどうでもいいような気がする。頭の中がずっと冷えきってる。氷みたいな…… 冷たい風が吹いてる」
夜のパトロールなのか、警備局のプラニカのサーチライトが一瞬こっちを照らして部屋の中に光が入った。
ケイナはそれにちらりと目を向けたが、またすぐにそらせた。
「あの……」
セレスはまたケイナを怒らせるようなことにならなければいいけれどと思いつつ言った。
「ケイナはさっきおれを殴ったときは本気だったじゃない。本気で怒る人は普通だよ」
ケイナは冷ややかな笑みを浮かべて再びセレスを見た。
「おまえ、危なかったんだぞ」
セレスはケイナの言葉の意味が分からず目を細めた。彼の言うことはいつも謎解きみたいだ。
ケイナが髪をかきあげると、赤いピアスが薄明かりに光った。
セレスの視線に気づいたのか、ケイナはかすかに顔をしかめた。
「うっとうしい色だろ。何に見える?」
「ピアスじゃないの?」
セレスの言葉にケイナは自嘲気味な笑い声をたてた。
「ここから、頭の中に信号が送られるんだ。 怒ったり興奮したりすると反応して感情が高ぶらないようにする」
ケイナは自分の耳から後頭部を指した。
「そうやって感情をコントロールするんだ」
「感情のコントロール? どうして?」
セレスは訳が分からないというように赤いピアスを見つめた。見た目にはただのアクセサリーにしか見えない。
「これがなきゃ、キレちゃうからさ」
「キレちゃうって……」
ケイナの言うことはますます意味不明になってきたように思えた。
「キレたら何をするか分からないから、閉じ込めとくんだよ」
ケイナは淡々と答えて目をそらせた。
「でも……」
「左手は…… 二年前、リンチで砕かれた」
口を開こうとするセレスをケイナは遮って言った。
セレスは目を見開いた。リンチ? ケイナが?
「左は利き腕だったけど、砕いてからは右腕に変えた。 おまえはこの抑制装置の抑制以上の揺さぶりをおれにかけたらしい。 咄嗟に出る手は左になるんだと初めて知った」
「そんな…… ひとごとみたいに言うなよ」
セレスは思わず言った。
「リンチだなんて…… なんでそんなことに…… あんたはそんな隙見せるような人じゃないだろ」
ケイナは頬杖をついてかすかに笑みを浮かべた。しばらく無言でいたがやがてぽつりと言った。
「何人いたか覚えてないんだ」
セレスはぎょっとした。
「何ができる。あっという間だった。後ろから首を締め上げられて、足を縛られて、そのまま倉庫になっている部屋に引きずり込まれた。 2年前っていったら今のおまえと変わらない。ロウラインとハイラインの差だぞ。 体の大きさが全然違う……」
セレスは何も言えなかった。 確かにいくらケイナでもひと回りも体の大きさの違うハイライン生にかかられたらひとたまりもないだろう。ジュニア・スクールのときとは訳が違うのだ。
「左手を砕かれて、蹴られて殴られて…… だけど今はもうほとんど覚えていない」
ケイナの表情は話す内容とは裏腹に全く変わらなかった。本当にひとごとのようだ。
これが感情をコントロールされているってこと? セレスはじっとケイナの横顔を見つめた。
「数週間病院にいたらしい。夜が怖いんだ。暗くて怖い。夜になると左手の骨がまた頭の中で音をたてて折れるような気がする。指を見たら全部がばらばらの方向を向いてる。体中の傷から血が吹き出て、シーツが真っ赤になった。動いていた右手に持っていたナイフで肉を裂いたときの感触がほんの少し残ってるんだ。おれは命がけで反撃してて、たくさん人を傷つけたみたいだ」
ぞくりと背筋が震えた。想像するだけでも恐ろしかった。
ケイナの右の耳の赤いピアスが光った。
「これをつけて、いらない記憶は封じ込めたと聞かされた。いつかは全部思い出すかもしれないけれど、そうしなきゃ死んでた」
気がつくと手が震えていた。セレスは目を伏せて自分の手をぎゅっと握りしめた。ケイナは無表情のままそんなセレスを見た。
「でも、最近はこいつの威力があまりなくなってしまったみたいだ。 おまえを一発殴っただけですんだからほっとしてる」
それでケイナは自分にかまうなと言ったのか…… 
一発殴るだけですまなかったらいったいどうなったんだろう。
「それを外すとどうなるの……」
おそるおそる尋ねた。
「さあ……」
ケイナはつぶやくように言った。
「前後不覚になって暴れるのかも」
「まさか」
セレスは目を細めてケイナを見た。ケイナはかすかに笑った。
「キレると何をしでかすか分からないというのは昔からあったんだ。なんか…… 自分とは違う自分が勝手に動いてしまうようなところが。小さい頃は所詮腕力もしれたもんだからどうってことない。だけど今はもう力が違う。自分でもキレたらどうなるか自信はない」
ケイナは窓の外に目を向けた。
「そうなったら死んだほうがましだ」
「そんなのだめだ!」
セレスが叫んだので、ケイナは少し驚いたように振り向いた。
「おれ、ほんの数カ月だけど、ケイナの笑った顔も怒った顔も見たよ。そん時のあんたはみんなが言うような冷たい優等生じゃなくて、普通の人だよ。そんなこと言うなよ!」
「おまえは何もおれのことは知らないよ。会ってまだ数カ月じゃないか」
ケイナの目に諦めとも不安ともつかない不思議な光が宿っていた。
「そ、そうかもしれないけど……」
セレスは困惑したように目をしばたたせた。
「そうかもしれないけど、死ぬなんて言うなよ。キレたって言ったって、おれを一発殴ればそれで終わったじゃん。そのうちちゃんと自分で自分の気持ちはコントロールできるようになるよ。みんなそうしてるよ。ケイナができないはずないよ」
その時、ふいにケイナの左手が自分の顔に伸びてきた。