08-3 見えない時間

 セレスは午後のカリキュラムに何とか集中しようと頑張ってみたが、気を許すとすぐにユージー・カートの顔を思い出していた。おかげで教官には大目玉をくらった。
明日も同じようにぼんやりしていると叱られるだけではすまないかもしれない。
 夕食後部屋に戻ってきたトニを見るなりセレスは彼の腕を掴んだ。
「ちょっといい?」
「う、うん……」
セレスの剣幕にトニの顔にさっと血が昇った。
「トニ、ジュニア・スクールでケイナと一緒だったって言ってたよね」
トニの顔にさらに血が昇った。そして慌てたようにブースの外に目を向けた。ジュディが帰って来ていないことを確かめたのだろう。
「そうだけど…… どうしたの、急に」
「ユージー・カートは本当にケイナを目の仇にしているの」
「え……」
トニの目に困惑したような色が浮かんだ。
「ジュニア・スクールでのケイナはどんなふうだったの」
「それを知ってどうするの?」
それはセレスにも分からなかった。
「あのさ、こんなこと言いたくないんだけど……」
トニは言いにくそうに視線を泳がせた。
「ぼく、ほんとはあんまりケイナと一緒だったってこと知られたくないんだ。そんなこと吹聴してまわってるって知れたら厭なんだ。セレスも深入りしないほうがいいよ。スタンみたいに辞めることになったら困るじゃない」
「ユージー・カートの仲間にいびられるってこと?」
セレスの言葉にトニは目をしばたたせてうつむいた。
「知ってるんならやめとけよ…… ケイナに近づくと彼の取り巻きにマークされるよ」
「おれ、ユージー・カートに会ったんだ」
「えっ?」
トニの目が恐れとともに見開かれた。
「会ったってどこで。いつ?」
「今日、ダイニング出たあとで」
セレスは肩をすくめた。
「トニ、事故に遭った人、亡くなったって知ってた?」
「え?  死んだの?」
セレスはうなずいた。トニはうろたえた。セレスが逃れようのない質問を浴びせてくることを全身で感じとったのだ。
「ねえ、これってもし作為的だったら殺人だよ。ユージー・カートって、そんなことまでするの?」
「ぼく、分からないよ」
トニは勘弁してくれとばかりに泣きそうな声を出した。
「だけど、もしユージー・カートの仕業だとしたって、彼には決して懲罰はないよ」
「なんで?」
「カートの名前を知らないの? 軍のトップだよ。『ライン』の間接的な運営者だよ」
セレスは言葉をなくした。軍のトップ…… じゃあ、兄さんの上司になるんだ…… それも一番上の。 ケイナは最初に知らないって言ってたけど、やっぱり兄のことを分かっていたのかもしれない。
「カート家は名門なんだ。リィ・カンパニーのリィ家とも昔から親交があるんだ。だからユージーの周りはジュニア・スクールの時からいつも取り巻きが多かった。本当ならその跡取りはユージー・カートだよ。カート家では子供はユージーひとりだもの。ケイナはユージーとは血が繋がってないんだ。彼は養子なんだよ。だけど、ケイナがいたら何でも完璧にしちゃうケイナのほうに周りは注目するよ。彼は見た目だって派手だし…… ケイナはユージーにとって目の上のこぶだったと思うよ」
トニは観念したようにため息をついてセレスのベッドの端に腰をかけた。
「ケイナはね、7年生までは普通の子だったんだ」
トニはぽつりと言った。7年生といえば10歳だ。
「ぼくは自分が小さい頃の記憶はあんまりないんだけど、自分が4年生になったくらいのときからのケイナはよく覚えてるよ。彼は頭が良くって、スポーツもできて、よく笑って、ぼくらにとってもすごくいい上級生だったよ」
セレスは俯いたままで話すトニを見つめた。
「ケイナのことをユージーの取り巻きが苛めるようになったのは5年生のときからだ。テキスト破いたり、鞄を捨てられたり、そんなのまだ可愛いほうだった。そのうちケイナはいつもあっちこっちに擦り傷や切り傷を作るようになって、ケイナと話をしたっていうだけで、ケイナだけじゃなくてその相手の子も苛めを受けるようになったんだ」
トニは耳まで真っ赤になっていた。不安や怖れや緊張は彼の顔色にすぐに跳ね返る。
「ぼくらだって怪我したくないし、そのうちケイナには誰も近づかなくなって、ケイナもだんだん笑わなくなって、いつもひとりでいるようになったんだ」
「それ…… ユージーが取り巻きに指示したの?」
セレスが言うとトニは首を振った。
「分からない。ユージー自身が手を出したことなんて一度もない。だけど、ユージーの取り巻きがやってるんだから、ユージーが指図してるんだろうって誰でも思うよ」
トニはセレスを見た。
「ぼくのいたスクールは転入や転校者が多いんだ。たぶん小さい頃からずっと同じ学校だったのってぼくとあと数人くらいだよ。ほとんどの子は笑わなくなったケイナしか知らないし、当たり前のように彼には近づかないほうがいいって思ってたと思う。ケイナはラインに入って、ユージーもラインにいる。バッガス…… あのスキンヘッドね、彼も同じスクールだったんだよ。あいつが一番荒っぽいやつだった。 ここじゃユージーがカート家の跡取りかもってことはもっと重要な意味を持つよ。スクールのときみたいな子供じゃない。ぼくの言ってること分かる?」
「分かるよ」
セレスは答えた。
「スタンの二の舞いになるなって言いたいんだろ?」
トニは目を伏せた。
「だけど、おれ、なんか間違ってると思うよ」
セレスは言った。
「間違ってるって何が?」
トニは怪訝そうにセレスの顔を見た。
「分からない……」
セレスはかぶりを振った。
「よく分からないけど、おれたちきっと違うこと見てる」
トニはセレスの言っていることが理解できずにただ彼の顔を見つめるしかなかった。
「おれたち、きっと違ってる……」
セレスは再びつぶやいた。