08-2 見えない時間

 ケイナを中傷するような言葉をアルの口からあまり聞きたくなかった。
確かにケイナは変わらなかった。ちらりと見る顔はいつも同じように無表情だ。
それでも彼のことを冷たいのだとは思いたくなかった。
どんなに無愛想でも彼だって人間だ。 同じグループの者が事故に遭って生死の境をさまよっているのに平気だなんてことあるはずがない。
 ダイニングをあとにして訓練塔のトレーニングルームの前にさしかかったとき、誰もいないはずの部屋の中でマシンを動かす音がしたのでふと足を止めた。
トレーニングルームはいくつかあるが、ハイライン生が多い部屋にはセレスたちロウライン生は足を踏み入れたことがない。 置いてあるマシンも体の小さいロウライン生には無縁のものばかりだったからだ。
ここがそのハイライン生のトレーニングルームであることはセレスも知っていた。
 そっと覗き込むと一番すみのマシンで誰かが腕を動かしていた。もしかしたらケイナかもしれない、と思い、足を踏み入れた。
規則正しい音とともに、荒い息遣いも聞こえてきた。 しかし近づいてみると、マシンに座っていたのは見たことのない黒い髪の少年だった。
大柄なほうではなかったが、全体的に引き締まった筋肉がついている。 重りを動かすたびに何も着ていない上半身の筋肉が無駄なく動くのが分かった。
そしてセレスはすでに初対面の人間のそばに近づく許容範囲をはるかに越えた距離まで彼に近づいていた。
少年はセレスの気配に気づいて重りを落とすと顔をあげた。
「何か用か」
真っ黒な鋭い目だった。
セレスはその目を見た途端、頭の中で警報が鳴り響いているような気分にとらわれた。
(彼は危険だ)
そう思ったが逃げ出せなかった。まるで足を床に釘で打ちつけられたような感じだ。
 次の瞬間、背後で雄叫びのような妙な声がしたかと思うと自分の体が宙に浮いていた。
うしろから誰かに首を腕で締め上げられた。
「どうしたの坊ちゃん。ゴハンはぁ?」
太い声が耳もとで聞こえた。
「離せ…… くるし……」
セレスはもがいたが太い腕の力は弛むことはなかった。
「悪ふざけはよせ、新入生だ」
黒い髪の少年が近くにあったタオルを取り上げて立ち上がった。少しかすれてはいるが威圧感のある声だ。
「ユージー、こいつおまえのことほれぼれと眺めてたぜえ」
後ろでむせこみたくなるような臭い息とともに太い声が言った。
セレスはそれを聞いて仰天した。黒髪の少年がユージー・カートだと分かったからだ。
ユージーはふんと鼻を鳴らすとタオルで顔を拭いた。黒髪から汗の粒が散った。
そしてもがいているセレスに近づき、しげしげと眺めたあとその髪を指でつまんだ。
「すごい色の髪だな。ハーフか?」
つぶやくような彼の声を聞きながら、セレスは最後の手段に出た。
足を振り上げるとかかとで思いっきり後ろを蹴り飛ばしたのだ。
悲鳴とも怒鳴り声ともつかない声が響いたと同時にセレスは床に転げ落ちた。
息をきらして顔をあげると、スキンヘッドの頭が体をくの字に折って床に突っ伏しているのが見えた。
まずい、と思った。彼がアシュア・セスとケンカをしていたスキンヘッドだと思い出したからだ。
ついでにスタンを殴って辞めさせたやつだ。そいつの股間を蹴り飛ばしたのだ。
「たいした力だな。新入生にしちゃ……」
ユージーは口元にかすかに笑みを浮かべて笑った。
「この……!」
バッガスがうめきながら立ち上がりセレスに近づこうとしたので、ユージーがセレスをかばうようにしてバッガスの前に立ちはだかった。
「やめろ。おまえが先に手を出したんだぞ」
バッガスはだらだらと汗を流しセレスを睨みつけていたが、ぶつぶつと何やら悪態をつくとセレスをひと睨みして渋々隣のマシンに座った。 ユージーには頭があがらないらしい。
セレスはユージーの後ろ姿を見上げた。まさかかばってもらえるなどと思わなかった。
「そのトレーニングウェアから見ると軍科なんだな。 あんまりハイライン生だけのところにひとりで来るな。こいつみたいに荒々しいやつが多いぞ」
振り返った彼の声はいたって冷静だった。
当たり前の分別を持ったハイライン生の姿がそこにあった。
セレスは自分の足がかすかに震えているのを覚えた。
何かが変だ。
ケイナを憎んでいるはずのユージー・カートはこんな紳士的であってはならなかった。
もっと残忍でふてぶてしくて殺気のあるやつでなければならないはずだった。
だのに目の前にいる彼は自分の想像とは全く違った。
間違ってもロウライン生いびりをしたりするような人間には思えなかった。
これじゃあ、ケイナのほうがよっぽど厭なやつだ。こんなことって・・・
「どうしてそんな目でおれのことを見るんだ?」
ユージーは自分を見つめるセレスに気づいて不思議そうに言った。
そのとき、バッガスがうなり声をあげて再びセレスに飛びかかろうとした。 まだ根に持っていたのだ。
彼はいつの間に移動したのか、またもやセレスの背後に回っていた。 ユージーが彼の顔面を殴りつけたのはあっという間のことだった。
ユージーは手加減をしたのだろうが、思わず顔をしかめたくなるような鈍い音がした。
バッガスは悲鳴をあげて手で顔を覆った。
「ロウライン生に手を出すな!」
ユージーに一喝され、バッガスはぽたぽたと鼻血を垂らし、涙目になりながらうらめしそうにすごすごとトレーニングルームを出ていった。
「まったく…… どうしていつもあんなふうなんだ……」
ユージーは舌うちをしてバッガスを見送った。
「おまえも早く行け。午後のカリキュラムが始まるぞ」
ユージーはそう言うとタオルを近くにあった椅子の背にかけた。
呆然としとしたセレスがふらふらと隣のマシンに寄り掛かるのを見て、ユージーが慌ててセレスの腕を掴んだ。
「おいおい、こいつはまだメンテが済んでないんだ。近づくな」
はっとしてマシンを振り向いた。 座席の部分に『危険使用中止』となぐり書きをした紙がとめてある。
「これが…… 倒れたの……?」
思わずつぶやくと、ユージーの顔がかすかに変化した。
「ロウラインにも伝わっているのか」
彼はどうしようもないな、というように肩をすくめた。
「打ちどころが悪くなけりゃ助かってた」
ユージーはセレスから離れると、自分のマシンの中に座った。セレスはびっくりした。
「死んだの?」
ユージーはちらりと視線を投げ掛けた。
「不幸な事故だ」
『あんたが仕組んだことじゃないの』
セレスはその言葉を飲み込んだ。
違う…… 何か違う…… この人……違う。
「そのこと…… ケイナは知ってるの」
震える声で言うと、ユージーは少し驚いたようにセレスを見た。
「おまえ、ケイナを知ってるのか? 同室か?」
セレスはドキリとした。言っちゃいけないことを言ってしまったのかもしれない。
「ケイナにはたぶん伝わってるだろう。グループのリーダーだし。それよりおまえ……」
セレスはくるりと背を向けると、ユージーの言葉が終わらないうちに脱兎のごとく駆け出した。
ユージーはそれを怪訝な顔で見送った。