08-1 見えない時間

「セレス、少しやせたんじゃない?」
「ライン」に入って3ヶ月ほどたったある日、久しぶりにダイニングで会ったアルがセレスに言った。
横にいたトニもセレスを見て頷く。同室のトニはともかく、アルと顔を合わせて会話するのは1ヶ月ぶりだ。
「痩せたっていうより、締まったのかも」
セレスは自分の腕を見てつぶやいた。 もともと線の細いセレスは自分が少しも男らしく逞しくならないことを少し気にしていた。
何年たってもこのままだったらどうしようかと時々不安になる。
細い手足はバランスがとれなくて不安定だ。そんなに筋骨逞しいタイプではないケイナでも自分と同じ年齢の頃今の自分よりはしっかりしていたのではないかと思うのだ。
 しかし、セレスのそんな不安はアルとトニには分からない。
情報科の勉強には体つきよりもむしろ集中力や分析力といった頭の運動のほうが大切で、 『ライン』での食事を気にしたり緊張や不安を持っていたアルのほうが得意分野を全うできる点で順応は早かったようだ。
 何よりトニという心強い友人を手に入れたから安心できたのかもしれない。
アルとトニは同じ科で同じグループなのでいつも一緒にいる。
セレス以外に特定の友人のいなかったアルが『ライン』に入ってすぐに新しい友人を作ったというのは快挙だった。
 そんなアルとは反対にセレスは日がたつにつれひとりでいることのほうが多くなっていた。
行動をともにしなければならないのがジュディとトリルだったからだ。
トリルはいいやつだったが、セレスの緑色の髪と目になかなか慣れないらしくひとりでいるときはあまり声をかけてこない。
乱暴者のバッガスに殴られてスタンがラインを辞めてしまってからはほとんどセレスに近づかなくなっていた。
ジュディは相変わらず険を含んだ視線をセレスに向けている。
「セレスたちは大変だよね。あの負けず嫌いのジュディも最近夕食後は10分でも横にならなきゃ体が動かないみたいだし」
トニはフォークを口に運びながら言った。
確かにジュディは基礎体力があまりないのでかなりきついに違いない。それでもドロップアウトせずに頑張っているのだからたいしたものだ。
自分に向けられるうっとうしい視線さえなければセレスもジュディを偉いと思いたかった。
 セレスは何度もジュディを受け入れようと思ったが、そのたびに諦めた。
ジュディのセレスに対する嫌悪感は濃厚で、感覚の鋭いセレスは彼の敵対意識を全身で感じて時々いらいらした。
ジュディはセレスが反応してくるのを期待しているのだろうが、いくらイライラしても彼だけは無視するに限る、というのはセレスも本能的に分かっていた。
「ケイナ・カートはどう?」
アルはレタスを口に運びながらセレスに尋ねた。 野菜はあまり好きではないアルもここでは何とか食べている。
「彼はいつもマイペースだよ。ほとんど話さない」
セレスの代わりにトニが答えた。
「でもよく続くと思うよね。ぼくらの倍は動いて勉強して、全然疲れを見せないんだ。ハイライン生になるとみんなあんな感じなのかな」
セレスは何も言わず黙々と食事を口に運んだ。
固い肉片に甘ったるい付け合わせの人参。とても美味しい食事とは言えなかったが食べなければ体がもたなかった。
「カイン・リィもずうっとぼくらより遅くまで勉強してる」
アルは言った。アルの部屋のルームリーダーはカイン・リィというハイライン生だ。
セレスは彼のことはバッガスとアシュアのケンカのあと知った。あのときケンカを止めようとしていたからだ。
 セレスはごくたまにしか見かけることのないこの少年があまり好きではなかった。
彼を取り巻く空気はほかのハイライン生よりもさらに張り詰めていて、彼の顔を見るとセレスは妙に緊張した。
いまどきめずらしいメガネをかけて、その奥の切れ長の目が何となく怖かった。
攻撃的なケイナの青い目よりもずっと思慮深そうな落ち着いた瞳なのだが、何だか訳知りな感じがするような、自分の心の内だけは外に決して出さないような雰囲気だ。
『何を考えてるかわからない』
そう、そんな感じ。
セレスは自分の心の中でつぶやいて、自分で返事をした。
 カイン・リィと、前にバッガス・ダンとケンカをしていたアシュア・セスはハイラインでのケイナと同じ訓練グループだと聞いた。
アシュア・セスはセレスの部屋のずっと先のほうにあるロウラインの部屋のルーム・リーダーになっている。
彼の姿はバッガスとのケンカのあと一、二回ちらりと目にしただけだ。
強烈な赤毛を頭の後ろにきつくゆわえて、ケイナやカインに比べるとかなり体も大きい。
浅黒い肌にいつも笑っているような口元が印象的で、カインよりはずっと気さくな感じがしたがそれでも彼もほかのライン生とは雰囲気が違っていた。
なんだか本当に不思議なのだ。
あのふたりはどうも違う。
彼らにだけはできれば近づきたくないとどうしても思ってしまう。人に対してこんなに警戒心を感じたことはなかった。
「ところでさ……」
アルはほおばっていたパンを飲み込むと周囲を見回して声をひそめた。
「この間ハイライン生が話してるのをちらっと聞いたんだけど…… ケイナ・カートのグループメンバーのひとりが事故で怪我をしたらしいよ」
「事故?」
トニが目を丸くした。セレスは口に運びかけたフォークを宙にとめた。
「だれ? アシュア・セス?」
トニの言葉にアルは眉を吊り上げた。
「違うよ。ロウランドって人。トレーニングマシンがいきなり倒れてきたんだってさ。重さ二百キロもあるやつだったらしい」
「え、し、下敷きになったの?」
トニの目がますます大きくなった。
「よく分からないけど重体だって言ってた。 ケイナ・カートが使うはずだったマシンをその日たまたま先に使わせてもらったらしい」
「この間って…… いつ?」
トニが不安そうな顔で尋ねると、アルは小首をかしげた。
「さあ…… 2、3日前じゃないかな……」
「ケイナは全然いつもと変わりないよ。そんなこと知らなかった・・・」
トニはそう言って同意を求めるようにセレスの顔を見た。
確かにそうだった。ケイナはいつもと変わらなかった。
「うん、だから不思議だなと思って」
アルは言った。
「同じグループの人がそんなことになったら、普通心配したり動揺したりするもんじゃない」
「おれ、もう行くね」
セレスは突然立ち上がるとトレイを持ち上げた。
「え、あ、うん……」
アルとトニがびっくりしたようにセレスを見上げたが、セレスはそのままダイニングをあとにした。