07-3 任務

 ケイナのそばにはできる限りカインとアシュアのどちらかひとりか、もしくはケイナがどこにいるかを把握するということは大前提だった。
それがそのときはふたりともケイナから離れていた。
トレーニングが終わったあと、まだ部屋に残っていると思っていたケイナがいなかった。
「ケイナ?」
彼の姿を探したカインの視界が突然真っ赤になった。
カインの異変に気づいたアシュアが緊張の面持ちで彼の顔を見る。
「ケイナはどこだ! アシュア、ケイナを探せ!」
言い終わる前にアシュアは身を翻していた。
 ケイナの目を通して、自分の目に映る恐怖の光景にカインは震えた。
数人のハイライン生がシャワールームに向かうケイナを後ろからはがいじめにした。
彼の口にタオルを詰め込み、誰もいない倉庫に連れ込んだ。
服を破り、利き腕の左手を砕いた。貫く痛みがこちらにも伝わる。
 ふたりが息をきらして倉庫に駆け込んだとき倉庫の床は一面の血の海となり、ぐったりと倒れたハイライン生たちから少し離れて、ケイナはなかば裸身の状態でぼんやりと壁にもたれて座っていた。
 左手首から先がねじくれて、体中の無数の切り傷から血が流れていた。
血だまりの中に小さなナイフがひとつ落ちていた。
ふたりが呆然としたのはケイナのその姿だけでなく、床に倒れる少年たちの姿だった。
幸いにも全員が命をとりとめたが、ある者は腕を切り裂かれ、ある者は左頬をすっぱりとえぐりとられていた。なかにはもう少しで致命傷になるほど腹に深い傷を負っている者もいた。
ふたりが駆け付けるのがもう少し遅ければもしかしたら全員死んでいたかもしれない。
それほど凄惨な光景だった。
ケイナはカインが名前を呼んでも全く反応しなかった。このときばかりはアシュアでもだめだった。
彼の藍色の眼と半開きになった唇はリンチを受けたときのショックそのままに開かれ、精神をこなごなに崩された狂気を浮かべていたからだ。
いや、狂気などという生易しいものではなかったのかもしれない。
助けを呼びながら手を差し伸べられなかった絶望感。いったいどれほどの恐怖だったのか・・・。
カインはケイナのその顔を思い出すと今でも体中に震えが走る。
死と生の綱渡り。
かなりあとになってからアシュアがそんな言葉を口にした。

 ケイナは目を閉じることがなかった。
何日も何日もベッドの上で目を見開いたまま体中をこわばらせ、がくがくと震えていた。
 睡眠剤の入った点滴を打たれてもその目は閉じることがなかった。
夜になると彼は叫び声をあげた。倉庫の中の闇と夜の闇がシンクロするようだった。
縫合した傷から血が吹き出た。
「感情制御装置をつけて…… それと、記憶を一時的に消します」
リィ・カンパニーの医師が苦渋の決断をしたのはそれから一週間後だった。
ケイナは点滴だけで生きていて、日に日に体力が落ちていた。 夜に出す叫び声もだんだん力がなくなってきていた。
「パラソムニアというのをご存知ですか? 幼児に発症する睡眠障害の一種で、夜驚症といえばわかりやすいかもしれません。パラソムニアは夜驚症だけではありませんが、いずれも長い時間続くものではないのです。長くても十数分。本人は目を開いていても夢を見ている状態です。本当に目が覚めても今のこの状態についての記憶はない。でも眠れてはいないのです」
「つまりこのままでは死んでしまう、ということね?」
部屋の中央に立ったホログラムのトウが尋ねると医師はうなずいた。
「じゃあ、しかたないわね。18歳になるまではこっちのものにはならないんだし」
そしてカインとアシュアを鋭い目で見た。
「この無能な子たちのおかげでとんだ災難だわ」
ふたりは黙っていた。
『あんたの災難よりケイナの災難を考えろよ。彼の姿を見て何とも思わないのかよ』
カインは心の中で毒づいた。
「その対処をすることでの変化は何?」
トウは医師に尋ねた。
「身体的には何も変化はありません。脳にも影響はないでしょう。耳たぶから脳の感情を司さどる部分までを信号で繋ぐんです。 微弱な電流が流されていると思っていただければよい。耳たぶに埋め込んでしまうので、耳を吹き飛ばされない限りは落ちる事もありませんよ。一時的に消した記憶はいずれ戻るでしょうが、その頃には装置が働いているから思い出しても今のような状態にはならないでしょう。 もっとも、精神的な傷が消えるわけではありませんが」
医師は冷静に答えた。
「完全に記憶を消すのは何かとリスクが高いもので。彼の場合は特に」
「カート司令官はなんと?」
トウは自分の爪を見ながら言った。
「任せるとおっしゃってます」
「じゃあ、私も任せるわ」
トウは答えて、再びカインとアシュアに目を向けた。医師は一礼をすると部屋を出た。
「さて、あんたたち、ビート除名とイチから出直すのと、どちらを選ぶ?」
「除名」
カインは即座に答えた。
「同じく」
アシュアもそれに続いた。
トウは美しい口元に笑みを浮かべた。
「次はないと思っておいて」
そう言うと彼女は消えた。
ふたりは顔を見合わせた。
なんてこった。おとがめなし?
そのことがかえって無気味だった。

 真っ赤なルビーのピアスのような感情制御装置は、ただでも表に出さなかったケイナの感情をさらに閉じ込めた。
ケイナは自分の身に起こった事を冷静に受け止めているようだったが、それも制御装置のなせるわざかもしれなかった。
「普通ならハンサムでさ、頭も良くてスポーツもできて・・・養子とはいえカート家といえば名門だぜ。おやじは軍の最高峰じゃねえか。司令官なんだろ? 将来も保障されて何の苦労もなく生きていけそうなのにな」
アシュアはため息まじりに言った。カインは黙っていた。
今まで何人がかかってきても負けることなどなかったのに・・・。
強いからと安心してしまっていた自分たちが悪い。
いくら後悔をしてももうどうにもならない。
せめてあの赤いピアスをとってやりたい。あれがなければまだ少しは笑えたのだ。
そう…… セレス・クレイが来るまではそう思っていた。