06-2 確執

 ニ週間後、セレスはトリルからスタンが『ライン』を辞めたことを聞いた。
「ルームリーダーのバッガス・ダンが、スタンをひどく殴ったんだ」
トリルが少し声を震わせて言った。
「前にアシュア・セスとケンカをしてたスキンヘッドだよ」
「スタンはケガをしたの?」
セレスは眉をひそめた。あんな太い腕で殴られたらスタンなどひとたまりもないだろう。
トリルは首を振った。
「ケガは幸いにもたいしたことはなかったらしい。確かに殴られたほっぺたは倍ほど腫れ上がったらしいんだけど…… それ以上はさすがにバッガスでも手加減したんだと思うよ。 ……でも、スタンはきっと堪忍袋の緒が切れたんだ。人一倍正義感の強いやつだったから。これまでもよくバッガスにたてついてたらしいし……」
「でも、辞めたら負けだ」
セレスはつぶやいた。
「そうかもしれないけど……」
トリルは目を伏せた。
「そうかもしれないけど、立ち向かってもどうしても勝てない相手もあるよ」
セレスは首にかけていたタオルを乱暴に取ると、行き場のない怒りにとらわれてトリルから離れた。
その背にトリルが叫んだ。
「セレス! 次のブロード教官のトレーニングは2時間後に延期だよ!」
セレスは振り向いた。
「スタンが辞めたことが問題にでもなってんじゃないかな。会議だってさ。それともブロードの持病の腰痛かもね」
トリルは肩をすくめてみせた。セレスはうなずいて再びトリルに背を向けた。
 いきなり空いてしまった2時間という時間にセレスは戸惑った。
普通なら夜にしなければならない午前中の講議の復習を自室でするべきだろう。トリルとジュディはきっとそうするに違いない。
セレスはさっきのスタンの一件のことがまだ頭に残っていたのと、部屋に戻ってジュディの顔を見ることを考えるとどうしても戻る気になれなかった。
ダイニングの前を通り過ぎたあと、ふと思い直して再び戻ってセレスは中を覗いてみた。
昼食の時間はとっくに過ぎていたので誰もいなかった。
彼はダイニングに入ると窓際の端の席に座り込んだ。
窓から下を見下ろすと、ずっと広がる高層ビルの間をチューブトレインが走っているのが見える。 この高さから見るとまるで子供のおもちゃのようだ。
いったいこのラインの中で何が起こっているというのだろう。
ユージー・カートという少年はいったいどんな少年なのだろう。
ケイナの容貌からはその兄の姿を想像することはできなかった。
ケイナが飛び抜けて優秀なハイライン生であることは いやというほど耳に入ってきたから分かっていた。
その優秀さに誰も追いつけないほどであることも分かった。
「ライン」の軍科に入るということは、ケイナ・カートのそばに行けること、と憧れを持っていたロウライン生もいただろう。 だが、彼の兄の話は知らない者も多かった。
容姿端麗で非のうちどころもないほど優秀で、それだけならまだしもあの無愛想な人を寄せつけないケイナの態度を良く思わない人間がいても不思議ではないが、その先導をきっているのが彼の兄というのがどうも理解できなかった。
自分もいずれはいやでもこんなごたごたに巻き込まれることになるのだろうか。
うっとうしいな、と思った。
それでもケイナのそばには早く行きたかった。
しかし今のところケイナは相変わらず誰とも距離を保ったままだ。
ルームリーダーの補充トレーニングの時でさえ、あくまでもリーダーと新入生という壁を厚く塗り固めていて、必要以外は声もかけてこない。
あの痺れるほど強く掴まれた腕に伝わったケイナの手の力強さと、バッガスとアシュアのケンカのあとに言葉を交わしたことがもうはるか昔のできごとのようだ。
「なんでこんなにケイナのことばっかり考えるんだろう……」
セレスはつぶやいた。
そしてテーブルにつっぷした。
日頃の疲れも手伝って、そのまま知らないうちに夢の中へひきずり込まれていった。

 夢の中でセレスは誰かが歩いている後ろ姿を見ていた。
あたりは薄暗くてよく見えない。それでも、背が高く真っ黒な髪であることは分かった。
訓練生の濃い灰色の制服を着ているからラインの生徒なのだろう。
黒い髪の少年はゆっくりとした足取りで、まるで動きがスローモーションのようだ。
(誰だろう……)
セレスは思ったが、前に回ってその顔を確かめることができなかった。
まるでその少年のすぐ後ろの肩のあたりをふわふわと浮遊してあとをついていく感じだ。
やがてその少年がひとつの部屋の前で立ち止まった。そして緩慢にロボットじみた動きでその中に入っていった。
セレスも少年の肩の後ろあたりを浮遊するようにしてそれに続く。
中はトレーニングルームだった。マシンの中で誰かが腕を動かしていた。
(ケイナ……)
少年の肩越しに見覚えのある金色の髪を見て、セレスはそれがケイナ・カートであることを確信した。
「これで最後だから」
後ろ姿の少年がつぶやくのが聞こえた。低いかすれた声だった。
いったい何が最後なんだ……
そう思った途端、その少年が右腕を肩の高さに上げるのを見た。そしてその腕の先のものを見てセレスは混乱した。
彼は銃を持っていたのだ。それも訓練用のものではない。銃身も長い。
れっきとした兵士の護身用の本物だった。
その銃口がマシンの中のケイナにぴたりと照準を合わされているのを見てさらに混乱した。
「ケイナ! 逃げろ!」
思わず叫んでいた。しかし、全然声が出ていない。
ふわふわとした体のように声もふわふわと頼り無く、ケイナは気づく気配もなかった。
「これで最後だから」
再び黒髪の少年がつぶやいた。セレスは自分の髪が逆立つのを感じた。
その直後、銃は発射されたのだった。