03-2 ケイナ

  アルは「ライン」の公開見学会の日、普段より一時間早く起きて着替えをすませ、母親と顔を合わせないようにしてすばやく家を出た。父親のエアバイクを借りるつもりだったからだ。母親に見つかるととんでもなく長い説教を受けなければならない。
危ないから急発進はやめなさい。怪我をするからあまり高くは飛んではだめ。
そのうち、やっぱり今日はトレインで行きなさい、と必ず言うだろう。
今日はこれでセレスのアパートに寄り、ふたりでそのまま中央塔に向かうつもりだった。
トレインに乗ると安全だけれど時間がかかり過ぎる。
 セレスのアパートの前にエアバイクを降ろすと、何度か訪れて勝手の分かっているオートロックをセレスからもらったスペアカードと身内として登録してもらった掌紋で開け、奥にあるエレベーターで53階まであがった。
部屋の前でインターホンを鳴らすとしばらくしてセレスが顔を覗かせた。
驚いたことに彼はこのインターホンが鳴る直前まで寝ていたらしいことが、あっちこっちに飛び跳ねた髪で分かった。
「遅れるよ、セレス! 早く着替えて!」
アルは素頓狂な声をあげた。
「うん……」
従順にそう答えながらもセレスの動きは緩慢だ。
アルは大急ぎでセレスを部屋の中に押し込むと寝室に飛び込み、クローゼットの中を引っ掻き回して比較的シワの少ない真っ白なシャツとお決まりの古びたズボンを出してセレスに放り投げた。
「8時に来るからって言ってたのに……」
ぶつぶつ文句を言うアルを尻目にセレスはのろのろと投げられた服を身につけ始めた。
アルは散らかり放題散らかったリビングに戻り、ため息をついて見回した。
どうしてこういつもいつも散らかっているんだろう。
これなんか、昨日着てたシャツじゃないか?
拾いあげてアルは顔をしかめた。
少しは片付けておこうと再び手を伸ばしかけて、ふとソファの上に小さな写真が落ちているのをアルは見つけた。映像をプリントアウトしたものらしい。
セレスによく似た四十歳くらいの男性と美しい女性だ。
「おれの両親。もう12年前くらいのやつだけど」
アルの背後でセレスがズボンを履きながら言った。
「セレスはお父さん似だったんだ」
アルの言葉にセレスはうなずいた。
「らしいね。髪と目の色は違うけど」
「セレスの父さんと母さんは…… 事故で亡くなったんだったね」
「うん…… 旅客機事故。大爆発したらしいから遺体は見つからなかった。地球の報道データを探すと残ってるよ。あの年最悪の事故だったらしいから」
「髪もきちんとといて」
ちらりと振り向いて言うアルの言葉にセレスは肩をすくめてバスルームに向かった。
セレスがバスルームに入ったのを確かめてから、アルはもう一度写真に目を移した。
男性も女性も幸せそうに微笑んでいる。
この映像がいつとられたものかは分からないが、自分たちがこのあと事故に遇うなど想像もしていない笑顔だった。
「準備できたよ。行こう」
セレスが言ったので、アルは写真をリビングのテーブルの上に置いた。
部屋を出る時、アルは言った。
「大事な写真だろ? 片づけてきたら?」
「帰ってから片付けるよ」
セレスはドアをロックしながら答えた。
「大丈夫かな…… なんで出したの?」
「今日は父さんたちが死んだ日なんだ。正確には事故に遭った日、だけど。アルと見学会に行くよって報告してたら寝ちゃってた」
アルは聞いてはいけないことを聞いてしまった気がして黙り込んだ。
しかしセレスは気にとめていないように乗り込んだエレベーターの壁を見つめていた。

 アパートの前に停めたバイクにアルがぎこちなくまたがるとセレスは訝しそうな目をした。
「運転できるの」
「できるよ。免許持ってんだもん。時々落ちるけど」
アルはポケットの中を引っ掻き回してキイを探しながら答えた。
エアバイクは空中浮遊型のバイクだ。安全性はかなり確保されているので早い年齢から乗用資格はとれるが、多くの母親たちがあまり好ましくないと敬遠する乗り物でもあった。
アルがキイを探し当てたのを見たセレスは口を開いた。
「おれが運転するよ。キイかして」
「運転したことあるの?」
「地球ではね。アルよりはうまいよ。たぶん」
アルは疑わし気にセレスを見ていたが、やはり運動神経のいいセレスのほうがいいだろうとキイを渡した。
セレスは慣れた手つきでエンジンをかけると、ほどなくしてバイクはふわりと浮上し、みるまに加速し始めた。
しばらくしてセレスの後ろにいたアルがはっと気づいて金切り声をあげた。
「嘘だ! きみは地球にいた頃10歳じゃないか! バイクの運転は12歳からだぞ!」
アルはおそろしくスピードをあげるセレスの背に必死になってしがみついて喚き散らしたが、セレスはけらけらと笑い声をあげた。
 10分後に中央塔のパーキングに降り立った途端にアルはセレスに食ってかかった。
「バカ! 事故ったらどうする気だったんだよ!」
「事故しなかったじゃないか」
セレスはにやにやしてアルにキイを返した。そこでアルはふと気づいた。
「初めて? なんであんなに慣れてた? エンジンのかけかたも知ってた」
「そんなの見れば分かるじゃないか」
セレスはこともなげに答えた。
アルは呆気にとられてエントランスに向かうセレスを見た。
見ただけで分かるものなのか? 見ただけでできるようになるものなの? それ、「セレス」だからじゃない?
アルはそんなことを考えて思わず首を振った。そして慌ててセレスのあとを追った。