セイル-04

(4)

 真由子はその後残った仕事を片付け、最後の日に新人たちを引き連れて送別会だと称してさっさと会社を去った。白帆には一言も声をかけなかった。
「一か月そこそこしかいないバイトの送別会って……」
後ろで悠木がぼそっと呟くのが聞こえた。
だが真由子がいなくなっても白帆の試練はそのあとも続いた。
新人の千佳と晴樹が全く言うことを聞かなくなったのだ。
まるで辞めた真由子の復讐をしようとでもしているかのようだった。
「赤城さん、これ、今日までって伝えましたよね?」
仕上がっていない画面を見て白帆が言うと
「今日っていうのは今日の午後23時59分までですよねえ? もっと早くいるなら先に伝えてもらわないとわかりませーん」
「じゃあ、それでもいいからとにかく仕上げて。明日の朝チェックします。それと打ち合わせ、13時からって約束したなら、13時には昼食から戻っていて欲しいんだけど」
「はーい」
「あと、こんなところにクエスチョンマークつけないで」
「えー、可愛いと思ったんですけどー」
「可愛くないわよ。というか、そういう問題じゃないでしょ?」
「そおかなあー? 佐伯さん、どっかおかしいんじゃないですかあ?」
絶句していると、てへぺろ、で千佳は笑った。
あからさまな千佳の態度とは違い晴樹はさほどでもなかったが、指示をしても全く反応がない。
いったいこんなことがいつまで続くのだろう。
いや、いつまでも続くわけじゃない。プロジェクトが終われば別の人選になるはずだ。
それまでの我慢…… と思いつつも白帆は疲れ果てていた。
昼休みに皆が昼食にでかけたあと、デスクでため息をついていると「佐伯さん」と呼ぶ声がした。悠木だ。
「大丈夫っすか?」
「あ、うん、大丈夫。どうしたの、仕事詰まってきた?」
「いや、俺、今月金欠なんで、コンビニ弁当」
悠木はがさがさと白い袋を持ち上げた。
「そう」
白帆は再び息を吐いた。
「佐伯さん、赤城はなめてかかってるから厳しく言っていいと思いますよ」
がさがさと音をたてながら悠木は言った。
「俺だったら、お前みたいなやついらないから辞めれって言いますよ」
「そんなこと言えないわ」
白帆は苦笑いして答えた。
「真面目というか、優しすぎますよ、佐伯さん。さっきの赤城の言ったことなんて、下手すりゃ名誉棄損ですよ。23時59分にあがりゃいいんだろってのも、ふざけんなって話っしょ? もし俺がチーフだったら彼女、同じこと言うと思います?」
悠木の言葉に白帆は思わず振り向いた。
悠木はコロッケをぱくりと食べると口をもぐもぐさせて言葉を続けた。
「俺、仕事で嫌われることなんて屁とも思ってないんですよね。いちいち相手の顔色なんてうかがってたら仕事にならないっしょ」
悠木はそう言って弁当を黙々と食べ始めた。
彼の言うことがツキリと白帆の胸に突き刺さった。

 9月に入ったある日、赤城千佳は欠勤していた。
「佐伯さん、ちょっと」
部長に呼ばれて白帆は席を立った。
「はい」
「赤城さんだけどね、辞表が出て」
「え……」
びっくりした。いきなり辞表だなんて……
「実家のお母さんの具合悪いからすぐ帰らないといけなくて、ちょくちょく顔は出すけどもうあんまり会社に来られません、って言うんだよ」
「……」
千佳の実家はどこだっただろう。そんなに遠い場所ではなかったと思ったけれど。
「お母さん、入院でもなさったんですか?」
尋ねると部長はちょっと渋面をつくった。
「いや、ちょっとなんか嘘くさい感じがしてね。ほんとにそれが理由なのかって問い詰めてみたんだ」
「……」
「で、まあ、お母さんが具合悪いのは本当らしいけど、チーフとも合わないから決心しましたって言うんだよ」
「合わない……」
白帆は思わずオウム返しに呟いていた。
「プロジェクトが終わったらチームは一度解散になるし、お母さんが落ち着いたら戻ってくることを考えたらって言ったんだけど、佐伯さんの顔を見るのはもう嫌ですって突っぱねられてね。君と赤城さん、何かあったの?」
合わない……。
白帆はまた心の中でつぶやいていた。
「まあ、しつこく引き止めるのもと辞表受理した。新人だし、続ける気ないんなら早めに辞めてくれたほうがいいし」
「部長は、私と赤城さんの様子を見てうまくいってないような気がしましたか?」
尋ねると部長は首を傾げた。
「さあ? あんまり気にしてなかったけど?」
「わかりました」
そう答えて席に戻りながら白帆は何かがストンと落ちたような気がした。

 持っていたプロジェクトを全て終えて、白帆は11月の頭に辞表を提出した。
12月の頭に深雪がワインを持って家にやってきた。
深雪は10月に退職していて、結局ふたりとも今借りている家でフリーで仕事をすることになった。
幸いすぐに仕事を振ってもらえたが、いつまでそういう状態かわからない。引っ越しやらなんやら、できるだけ倹約しようと話し合ったのだ。
「飲もう、飲もう、安いワインだけど、おつまみも買ってきたし。祝いじゃ、祝いじゃ」
深雪はさっそくワインの栓を抜いて言った。
「なんか浮かない顔してるよ。不安?」
ワインを注ぎながら深雪は白帆の顔を見た。
「そりゃ、不安はなくはないけど、とりあえず早速仕事は振ってもらえたし、頑張るしかないっしょ」
白帆は笑った。
「実はしぃちゃんは会社に残るかなって思ってたんだ。責任感強いし。決心してくれて嬉しい。やっぱり同志がいると心強いもん」
深雪はフリーライター、白帆はデザイナーとして仕事を請け負う。
「決心というか……」
ワイングラス代わりのカップを持ち上げると、ふわっと甘い香りがした。
「わたし、決めたの。もう仕事するとき部下は持たないって」
「部下? ん、まあそうね、フリーは部下はいないわね」
深雪は笑う。
「よくわかったの。わたしは誰かを指導したり、まとめたりすることはできないタイプなんだって。そういうのってやっぱり素質だと思う」
「ん、そうだねー、アドグランの田中さんって、根っからディレクター気質だもんね。あの人、デザイナーあがりだけど、デザインの仕事でモニターずっと見つめてると気が狂いそうになるって言ってた。ディレクションするほうが楽しいって」
「私のこと、逃げたと思う?」
それを聞いて深雪は目を見開いた。
「逃げた? どうして? 会社辞めたから? そんなこと言ったらあたしも同じになるじゃん」
「ごめん…… 忘れて」
ワインを口に運ぶ白帆を深雪はじっと見つめた。
「しぃちゃん、これからがんばろ。これから。一個一個やってけばいいじゃん」
「うん、そうだね」
二人は顔を見合わせて笑った。
きっとこれからもこれでいいんだと思ってやってきたことが全く的外れで後悔したり、知らないうちに人を傷つけていたり、空回りすることはたくさんあるのだろう。
でも、仕方ない。
その時その時に感じた風に私は顔を向けていくことしかできないんだろうな、と白帆は思った。