セイル-02

(2)

 真由子は派手な見た目とは裏腹にとても真面目だった。
白帆が感心したのは、彼女はわからないことがあればはっきりと「わからない」と尋ねる部分だった。自分をかっこつけようとしない。そこが好ましかった。
だが、尋ねてくる内容は白帆が今まで人に聞かれたことがないようなことばかりだった。
最初はPCの電源、次にログイン、フォルダとは何か、ファイルとはなにか。
カーソルってなんですか? コピペってなんです? ドラッグ&ドロップ? 難しい専門用語、よくわからなくて……
彼女がエクセルを立ち上げて書類を作るのは遠い遠い未来になりそうに思えた。
当然キーボードも両手の指を使って入力ができない。
自分の名前を入力するときでさえ、
「佐伯さん、や、って打ったら数字が出てくるんですけど」
と、言った。
「ローマ字で入力するの。や、はYとAで」
「ローマ字…… わい、わい、わい…… えー…… あった……」
キーボードを睨みつけて人差し指でぽつん、ぽつん、と押す。
どうしたものかと思ったけれど、真剣に取り組む様子を見ていると何とかして仕事できるようにしてあげないと、と白帆は思う。

 午前中の業務が終わって、白帆は真由子をランチに誘った。
あまり他の社員が来ないカフェに入り、ふたりでパスタを注文した。
「矢崎さん、どうしてうちでアルバイトしようと思ったの?」
パスタを待つ間、尋ねてみた。
「手に職をつけたかったんです」
真由子ははっきりと答えた。この子の返事はいつもためらいがない。白帆がいままで会ったことのないタイプだった。
「私、中学しか出てないんですよね。高校は行ったけど、途中で辞めて。で、ショップの売り子してたんですけど、手に職をつけたくて。」
「接客業だって専門職じゃない? 誰にだってできることじゃないと思うけど……」
「接客じゃない技術を身につけたかったんです」
そう言われてはそれ以上何も言えない。
「高校出てないから中坊、中坊、ってバカにされて、何かあったら中学しか出てないしね、って言われて悔しくて」
「今時そんなこと言う人いるの?」
「いますよ。バカ扱いされてほんっと悔しい思いをしました」
真由子はその時のことを思い出したのか、怒ったような顔になった。
本当に感情がストレートだ。
「確かに学校出てなきゃできない職業はあると思うけど、そうじゃなきゃ学歴はそんなに関係ないと思うな……」
運ばれてきたパスタを前に白帆は答えた。
「佐伯さんは高校出てるんですか?」
「私は大学まで行ったけど…… 今の仕事とは全く関係ない国文科よ」
「パソコンとかどうやって覚えたんですか?」
真由子は目を丸くした。
「パソコンはまあ、学生時代に使ってたから…… オフィス系のソフトはその時にもうそれなりに。でもWebデザインはほとんど独学かな…… 学生時代にデザインとかするのが好きで趣味でサイト作ったりしてたし……」
「へえ…… 独学でもできるんですか?」
「でも会社に入った当初はメタメタだったわよ。2年間くらい先輩に怒られながら仕事教えてもらって、リファレンス本はあっという間にボロボロになったから、同じのを何冊も買って、それでも追いつかなくて……」
「わたしにもできるでしょうか……」
真由子はフォークをとりあげながらつぶやいた。
「矢崎さん、何がしたいの? Webデザイン? それともプログラム?」
「プログラム……?」
「悠木さんがやってるわ。矢崎さんの席の斜め後ろの人」
真由子は視線を上に向けて思い出すような顔をした。
「でも、んー…… 矢崎さんはまずはパソコンの操作に慣れるのが先決かな……」
そう言うと、真由子はこくんとうなずいた。
「そうですね。頑張ります。必死に頑張ります」
この子、本気なんだなあ、と思った。
パスタをほおばる顔に固い決心が見てとれた。

 白帆と真由子はその後も何度かランチを共にした。
真由子は包み隠さず自分のことを話した。
真由子は父親が中国人で、父と死別したので母と日本に帰化したのだという。
日本で生まれて日本で育っているのと、父親は幼い頃に亡くなったので中国語は話せない。
高校を中退したのはもともと学校に合わなかったということもあるし、母子家庭だったために少しでも早く働いて母を助けたいからだったそうだ。
まっすぐにこちらを見て話す真由子といると、むしろ白帆のほうが気おくれした。
彼女が辿って来た苦労の何分の一も自分はしていない。
どこか負い目を感じるように、白帆は真由子の仕事にとことん付き合った。
「これ、家に持って帰ってもかまわないから、時間のあるときに読んで」
自分の手元にあるコーディングやデザインのリファレンス本を渡した。
「Webの世界は移り変わりが速くてついていくのが大変だけど、基本をしっかり押さえておくのは大事だから」
「ありがとうございます」
真由子は大事そうにそれをデスクの引き出しに入れた。
「佐伯さん、いい人ですね」
「えっ……?」
思わぬ言葉に白帆は真由子の顔を見た。
「前の職場好きじゃなかったけど、ひとりだけすごく親身になってくれる先輩がいたんです。佐伯さん、その先輩に似てます」
「そんな……」
まっすぐにこちらを見る真由子の視線から白帆は顔を反らせた。
なぜそらせてしまったのか、自分でもわからなかった。

 真由子はとつとつとキーボードをたたき、A4の書類を二週間かけてようやく完成させた。
その頃の彼女は白帆以外の社員たちにも馴染んで、ランチは新人の千佳や晴樹と一緒に行くようになっていた。
真由子は白帆より千佳たちと歳が近いので、白帆もそれを快く見送り、お昼の時間はサンドイッチやおにぎりを片手に午前中の仕事をチェックした。
もともとこういう習慣だったからお昼にオフィスにひとりでいるのは気がラクだった。
「佐伯さん」
ふいに背後から声をかけられて白帆はびっくりして振り向いた。
プログラマーの悠木だった。
「悠木さん、いたの? ごめん、気づかなかった」
「いえ、あの、前に僕が渡したWordpress関数のリファレンス本、あります?」
「あっ……」
白帆は自分の棚に目を向け、それからデスクの引き出しを開いた。
「ごめん、矢崎さんに貸したかも」
白帆は慌てて真由子のデスクに向かった。
真由子が本を入れた引き出しに手をかける。
「ごめんね、矢崎さん、ちょっと失礼します」
そして開いて一瞬硬直した。
渡した本はあの時のままデスクの引き出しに入っていた。
あって欲しいと思って開きはしたけれど、渡したときそのままの状態であったことになぜかひっかかった。
白帆はその中から関数の本を取り出して悠木に渡した。
「ども。必要な時また言ってくれれば貸しますよ。つか、矢崎さん、プログラマー志望なの?」
悠木は本を受け取って言った。
「まだわからないけど…… いろいろ勉強したらいいかなと思って……」
「いきなり関数は無理っしょ」
席に戻って悠木は笑う。
「その前にせめてキーボードをもうちょっと早く打てないと」
「矢崎さん、頑張ってるわ」
白帆も自分の席に戻りながら答えた。
「うん、それは思いますよ。この二週間でだいぶん変わった。佐伯さんのおかげですよね」
白帆は思わず悠木を振り向いたが、彼はすでに仕事に戻っていた。
白帆はまた何かどこか腑に落ちない気分に陥った。