06-03 脱出

 ドアーズに案内されてセレスのいる部屋に通されたカインは中に入るなり思わず足をすくませた。
うっすらした光の中でセレスはもうベッドを45度ほどに起こしてもらっていた。
連絡をもらってからまだ1時間程度だ。
横になったままぼんやりとしているセレスを想像していたカインは驚きを通り越してショックだった。
「ご子息、どうぞ?」
ドアーズに促されてカインはやっと歩を進めた。後ろからヨクがついてくる。
彼はたぶんここに入るのは初めてかもしれない。
「セレス……」
ベッドに近づいて声をかけると、セレスは宙を見つめていた顔を動かしにくそうにゆっくりとこちらに向けた。少し落ち窪んではいるが、緑色のガラス細工のような光を持つ目がカインを捉えた。
「もう少し顔を近づけてやってください。刺激を与えないようだいぶん光を落としていますから」
ドアーズの言葉にカインは少し身をかがめてセレスに顔を寄せた。
「セレス…… 久しぶりだな。ぼくのことが分かる?」
セレスはただカインの顔を見つめていた。わずかに開いた口から声を発することもない。両腕は手のひらを上に向けてだらりと体の両側に落ちていた。
カインは困ったな、というようにドアーズを振り向いた。しかし彼は何も言わない。しかたなく再びセレスの顔を覗きこんだ。
「ぼくのことを…… 覚えてる?」
やはり反応がなかった。ゆっくりとまばたきを繰り返しながら、ただカインの顔を見つめている。ちゃんと見えていないんじゃないだろうか。
カインは手を伸ばすとセレスの細い肩に手を置いた。かすかに彼女の体がぴくりと動くのが感じられた。
あまり刺激を与えてはいけないのかもしれない。そう思ったカインは肩から手を離すと、目の前に脱力したように置かれている彼女の右手の細い指をそっと握った。
「セレス、ケイナの目も覚めたんだよ。良かったな。彼ももうすぐこっちに戻って来る。ケイナに会えるよ」
彼女の顔を覗きこみながらそう言ったが、『ケイナ』という言葉を聞いてもセレスには反応がなかった。
(もしかして……)
カインは目を細めた。
(セレスは記憶を無くしているんじゃないだろうか……)
自分を見つめるセレスの目が一回ゆっくりとまばたきをしたあと、繋いだ手に降りていくのをカインは見た。
自分の手のひらの中で彼女の細い指がぎごちなく動き、わずかな力で握り返すのを感じた。じっと繋がれた手を見つめる彼女の口元に小さく笑みが浮かんだ。
「……セレス?」
カインが呼ぶと、セレスは再びカインの顔に目を向けた。
彼の額から目、鼻、口元に視線を泳がせたあと、もう一度カインの目を見つめてゆっくりと目を閉じた。わずかに自分のほうに傾けられた顔がかくんとかしいだので、カインはびっくりしてドアーズを振り向いた。
「大丈夫です。眠ったんですよ。また数時間眠るでしょう。だんだん覚醒のスパンも長くなってきますから」
ドアーズは答えた。
カインはセレスと繋いだ手に視線を向けた。
ずっとケイナと手を繋ぎ続けたアシュアのことが思い出される。自分がもしそうなったらちょっとまずい。おずおずと手を離したが、ドアーズが何も言わなかったのでほっとした。
「きれいな子だな……」
ヨクがカインの背後から声をかけた。
「本当にこの子はもとは男の子だったのか?」
「うん……」
カインは答えた。少し傾けた顔はどことなく幸せそうな表情だった。

「セレスは…… 記憶を無くしているんじゃないですか?」
カインは部屋を出てからドアーズに言った。
「それはなんとも分かりませんな…… そんなふうに感じられましたか?」
ドアーズはカインを見上げて答えた。
「ケイナの名前を聞いても反応がなかった……」
カインはセレスと繋いだ自分の手を見つめて答えた。普通ならケイナの名前を聞いて無反応であるはずがない。
「今はまだぼんやりしている状態ですから、声を聞いてもあまりよく分かっていないのかもしれません」
ドアーズはそう言って、カインの顔を首をかしげて覗きこんだ。
「それで、ちょっと相談なんですがね。目が覚めたので……本来は誰か彼女のことをよく知っている人が近くにいるといいと思っています。これから少しずつ体の機能を回復させる訓練も始まります。苦痛を伴うこともありますから、支えになってやれる人がいることは彼女にとってもいい。どうしても難しいということであれば無理は申し上げませんが」
ドアーズの言葉にカインは考え込んだ。
誰かと言われてもアシュアは今ケイナのところにいる。自分がずっとそばについてやることもできない。
「リア……」
カインはつぶやいた。
そうだ。リアはどうだろう。でも、彼女は『ノマド』から動けるだろうか。
しかしそれ以外に思い浮かぶ人間はいなかった。
「ちょっと心当たりがあるので、連絡をとってみます。女性だし……」
それを聞いてドアーズはうなずいた。
リアを『ノマド』から出すことは気乗りがしなかったが、この際しかたがないかもしれない。聞いてみよう。
ヨクと共に踵を返そうとしたとき、カインはふと立ち止まった。
「どうした?」
ヨクが怪訝そうな顔で彼を見た。
「今…… 揺れなかった? 地震…… かな」
ヨクは小首をかしげた。ドアーズを見ると、彼も首をかしげていた。
「別に何も感じなかったぞ?」
気のせいかな、とカインは思った。うなずいて歩き始めた。
プラニカに乗り込んだあと、しばらくして運転していたヨクが声をあげた。
「カイン!」
びっくりして彼の指差す方向を見てカインは呆然とした。エアポートの方向から黒煙が立ち上っている。
「なんだ? ありゃあ……」
ヨクはつぶやいた。方向から察するにメインの離発着の方だ。
さっきの揺れはあれだったのだろうか。
「とりあえず戻るぞ」
ヨクはスピードをあげた。