06-01 脱出

 カインはコーヒーを飲みながらぼんやり窓の外を眺めていた。
なんだか妙に早く目が覚めてしまった。ずっと神経が張り詰めたままで、夜も寝たのかそうでないのか分からないような感じだ。
 目が覚めてすぐにケイナのことを考えた。
アシュアの話からするとケイナは言葉こそ発しないけれど順調に回復しているようだ。
彼の記憶がどうなのか何度も尋ねてみたがアシュアは分からないというように肩をすくめただけだった。言葉が出ないのだから意思疎通もうまくいかないのかもしれない。
 昨日『A・Jオフィス』についての調査報告書をヨクが持ってきた。
それによると『A・Jオフィス』は『アライド』では相当な巨大企業だ。
ただ『ゼロ・ダリ』のような医療研究機関は持ち合わせていない。
主な業務は運輸。
トップにいるのはクロー・カート、副社長はフォル・カート、ともにカートの名を持つ。
クロー・カートは『アライド』で生まれ育っているが、遡るとレジー・カート、つまりユージーの父の流れに近いところにいる。副社長のフォル・カートはクロー・カートと従兄弟同士だった。
『ゼロ・ダリ』のエイドリアス・カートはカートの名前を持っていてもレジーともクロー・カートとも繋がらなかった。かなり遠い血縁なのだろう。
「要するにこれはカート一族の内輪もめってやつじゃないかな」
ヨクはそうつぶやいていた。
そうかもしれない。ユージーはかなり翻弄されていただろう。ケイナのことでの連絡がぷっつり途絶えていたことが分かるような気がした。
 手に持っていたカップからコーヒーを一口飲んで窓から目を逸らせると自分のデスクに向かった。
明日には下のオフィスに移動する。マスコミの騒動はまだ治まっていなかったが、いっときほどの混乱はない。ティもヨクも近い時期に自分のアパートに戻るようになる。
ティはまた『晩餐会』をしようと言っていたが、たぶんもうそういう機会はないだろう。
あの日、ティと繋いだ手の感触が時々思い出されたが、その後も彼女とはこれまでと同じ秘書とボスという関係のままだった。どうしてあのとき強引にでも彼女を引き寄せなかったのかと悔やまれたが今さらもうどうすることもできない。
また日常が戻るのだ。そんなことを考えた。
 モニターの前に座ってキィを押そうとしたとき、いきなり通信音が鳴ったのでびくりとした。
手に持っていたカップからコーヒーがこぼれそうになったので、慌ててカップをデスクの端に置いた。ちらりと時計を見ると午前6時だった。
回線を開くとアシュアが画面に映った。途端に何かあったのかと緊張が走る。
「カイン、良かった、起きていたか」
アシュアの顔は少し上気していた。
「30分ほど前に目が覚めた…… どうした? 何かあったのか?」
不安を押し隠しながらカインは答えた。
「ケイナがさ、ケイナがしゃべったんだよ!」
「え」
次の言葉が思い浮かばず呆然とした。アシュアはちらりと後ろを振り返り、再び嬉しそうにこちらに顔を向けた。
ケイナ…… 近くにいるのか?
自分の指がかすかに震えるのをカインは感じた。
「それで…… ケイナの記憶は……」
それを聞いて、アシュアは再び後ろをちらりと振り返った。
「ケイナ…… そこにいるの?」
カインは尋ねた。
「ああ。でも、出ないって言い張るんだよ。それでな、本人が地球に帰りたいって言うからそろそろここも出ようかと思ってるんだ。もう日常生活にも不便はないくらいになったし」
カインは緊張のあまりうっすらと浮かんだ鼻の頭の汗を手の甲で押さえて小刻みにうなずいた。
「カートに連絡をとるよ ……『ノマド』のほうで受け入れの準備はできているのか」
「ああ、それは大丈夫。いつでもいいって言われた」
「リィにはケイナに関する権限が今はない。たぶんカートから迎えが行くと思う。その連絡が来るまで待っていてくれ」
アシュアはうなずいた。
「分かった」
「そこを出るときの細かい指示はカートが出すだろうから、カートの指示が出たらそれに従うように」
「了解」
「アシュア」
カインは一呼吸置いた。
「ケイナの記憶は」
アシュアはそれを聞いてまた、ちらりと後ろを振り返った。ケイナは全く画面に映らない。